Project CARS™ 3

COURSE

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ニュージーランド

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ブラジル

フランス

ベルギー

ポルトガル

南アフリカ

モナコ

マウントパノラマサーキット

マウントパノラマサーキット

場所
オーストラリア、バサースト
タイプ
ストリートサーキット
トラック
1

マウントパノラマという丘の周辺に造られた「バサースト」では1906年以来、人とマシンの忍耐、勇気、腕を試してきました。丘のふもとから頂上まで約200メートルあり、小さなミスが命取りになる伝説的な落差が続くこの市街地サーキットは、ファンとドライバーを魅了し続け、多くの人々が「バサースト1000」を世界で最高のツーリングカーレースと考えていることを誇りにしています。

象徴的なコーナー

ヘルコーナーは、気まぐれなドライバーを地獄に追いやるために待っていた、この恐怖のカーブのエイペックスにかつて立っていた切り株にちなんで名付けられました。

アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ

アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ

場所
ブラジル、サンパウロ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

誰の基準から見ても、インテルラゴス(「湖と湖の間」、スイスの町インターラーケンにちなんだ名前)は、コースが一定半径のコーナーごとに整えられておらず、ランオフエリアが駐車場サイズだった別の時代へ戻ってきたように感じるでしょう。1940年に造られ、長年にわたり改修が行われて本来の長さから大幅に縮小しましたが、その遺伝子に変わりはありません—その独特な変わりやすい天候が大惨事を誘発する高速で難易度の高いコースとなります。ここは多くの世界クラスのモータースポーツシリーズの舞台であり、70年にわたってドライバーたちが立ち向かってきたものと同じ試練と対峙しなければなりません。大きな標高の変化、低いダウンフォースが求められる長い直線、ピットに置いてきたあらゆるダウンフォースを要求するトリッキーなキャンバーが生まれる一連のコーナーなどがドライバーを待ち受けます。それに加えて異常な数の左カーブ(10)、それこそがドライバーにもファンにも同じように大人気の他に類を見ないサーキットなのです。

象徴的なコーナー

第11コーナーは難しい下り坂の左カーブで、キャンバーが思うように機能してくれません。常にエイペックスのアンダーステアと戦うことになるでしょうが、スロットルを離すとラップが悲惨なことになります。その一方で出口の縁石に入りすぎるとレースが台無しになるでしょう。第11コーナーに簡単な解決策はなく、入口で極めて高い精度が要求される、モータースポーツで困難なコーナーの一つとなります。

サーキット・デ・バルセロナ - カタルーニャ

サーキット・デ・バルセロナ - カタルーニャ

場所
スペイン、バルセロナ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

サーキット・デ・バルセロナは危険度の高いモンジュイックパークに代わって新しく建造された恒久的施設で、1991年にオープンした2週間後にF1を迎え、すぐにモータースポーツ界で最も記憶に残る光景の一つを世界にもたらしました—マンセルとセナが、どちらが先に第1コーナーでブレーキを踏むのかという高速ゲームで激しく競り合ったのです。長い直線、標高変化、きついブレーキングゾーン、そして低速、中速、高速と様々なパターンのカーブがユニークに結びついたサーキット・デ・バルセロナは、ドライバーのテクニックまたは車のハンドリングに潜むあらゆる欠点を確実に洗い出します。その点と穏やかな気候のおかげで、ここはテストにもレースにも使える世界で最も重要なモータースポーツ会場の一つとなっています。しかしグリッドの位置には注意です。滑らかに追い越すのは常に困難で、追い越して第1コーナーに入る動きは、スローモーションで何度も何度も見たくなるでしょう。

象徴的なコーナー

大抵の人にとっては、第4コーナーがサーキット・デ・バルセロナで最も難しいカーブです。長くて速い右カーブで、エイペックスを探しているとリアエンドグリップを大きく損なって唐突に弾き出されます。ここはしっかり踏ん張る必要のあるコーナーで、早くパワーを上げすぎると大きくラインをそれてしまい、出口でアクセルを放して重量がリアに移動すると、さらに大きくそれてしまうでしょう。ここでは完璧な操作が求められます。

シルクイート・デ・ヘレス

シルクイート・デ・ヘレス

場所
スペイン、ヘレス
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

1950年代以来、スペイン南西部の人々は自動車狂でしたが、1980年代半ばになって初めてその車マニアたちの情熱に相応しい恒久的レース施設がようやく登場しました。それは待った甲斐のあるものでした。ここで最初のF1レースではセナがマンセルを史上最小(当時)の僅差—0.014秒!—で破りましたが、この狭くて困難なレイアウトに慣れてくると、その理由が分かるでしょう。ここは比較的平坦で、滑らかで、舗装道路がテクニカルに伸びており、貴重な追い越しチャンスはごくわずかです。コーナーは13個あり、コースも覚えやすいですが、様々なエイペックス速度と難しいブレーキングゾーンのために練習は欠かせないものとなっています—好ラップタイムの秘訣は、決まった型と自分のリズムを見つけることです。一方、追い越しを成功させる秘訣は、それよりはるかに複雑です…。

象徴的なコーナー

第9コーナー「ニエト」と第10コーナー「ペルクイ」は、2つの困難な右カーブで、第9コーナーの出口で第10コーナーのスピードおよびそこに到達するまでの走りを決めるので、1つのコーナーと考えるべきでしょう。第9コーナーでミスすると、このセクションはセナシケインまで為す術がありません。第9コーナー出口の縁石も注意しましょう—この縁石でリアエンドが軽くなり、第10コーナーで痛い目に遭うはめになります。

ブランズハッチ

ブランズハッチ

場所
イギリス、ウエストキングスダウン
タイプ
ロードサーキット
トラック
2

1926年にサンデーバイカーのグループがロンドンから20マイル離れた野原を偶然発見し、そこが素晴らしいレーシングサーキットになると確信した時、自分たちがイギリスで最も愛されるサーキットの基盤を作ろうとしているとは彼らは知る由もありませんでした。1950年、古い草の生えたレイアウトが舗装され、イギリスで戦後初の専用レースコースとなりました。タイトで起伏が激しく骨の折れるブランズハッチは、分かりにくいエイペックスと大きな勾配の向こうに秘密が隠れている、真のドライバーに向けたサーキットです。直線がほとんどなく、高速と中速のコーナーが入り混じったこのサーキットには、ここのコツをつかんでいないように見える特定のドライバーが他のドライバーより有利になるという変わった傾向があります。それは主に、ブレーキを利かせる必要のあるこの周辺の道を下る時です。重要なコーナーの大部分では、ハンドルを切りながらブレーキをかける必要があります—クリアウェイズとパドックヒルベンドが典型的な例です—これはつまり、常にバランスを失った車に対応しなければいけないということです。

象徴的なコーナー

ディングルデルは、ぼんやりとして優しそうな名前のコーナーですが、密かにあなたを痛い目に遭わせたがっています。内側の縁石と傾斜で確実に不安定になりますが、コースを正しく理解していればキャンバーがしっかりと引き込んで驚くべきグリップを与えてくれます。自信を持ってマシンを制御しましょう。間違うと、キャンバーを見逃して景観に突っ込みます。正しく理解していてもエイペックスに入るスピードが遅すぎると、タイミングシートのどこにも名前が載らないでしょう。このコーナーでは完全な正確さが求められます。

リッデン・ヒル・レースサーキット

リッデン・ヒル・レースサーキット

場所
イギリス、ケント
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

リッデン・ヒル・レースサーキットは短く、非常にハードです。このイギリスで最も短いロードコースは、そのわずか約1.6キロの形状からいくつもの困難をもたらします。このコースが1967年にラリークロスというスポーツを発明したずっと前、地元と国内のサルーンレースでは最先端のサーキットでファンに人気があり、いつも競り合いを楽しんでいる本物のドライバーたちのパラダイスでした。1991年にマクラーレンがこのコースを買収し、もう少しでマクラーレンの本拠地となるところでしたが、地元の計画でプロジェクト全体が頓挫し、代わりにこのコースは世界的なラリークロスの心の故郷となり、レースコンディションではテクニックと技術の両方を問われる素晴らしいクラブレーシングサーキットとなりました。ここを走り抜くには、遅いブレーキングと追い越しを多用することになります。

象徴的なコーナー

ビルズエルボーはコース中盤に待ち受ける恐ろしいコーナーで、あっという間にマシンを吸い込んで景観に吐き出すという癖を持つ左カーブです。エイペックスは遅く、ブレーキを長く踏み込んだ後に現れます。常にキャンバーがアンダーステアを引き起こし、早くパワーを上げすぎると出口で弾かれ、ブレーキをかけるのが遅すぎると出口で制御を失うでしょう。正しく対応すれば、良い走りで次のヘアピンに飛び込めます。

オウルトンパーク

オウルトンパーク

場所
イギリス、チェシャー
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

オウルトンパークは、1926年に全焼した大邸宅の幽霊のように朽ちかけている残骸にまたがって建設されました。戦争中にパットン将軍がここに本部を置き、その軍が放棄した道路が1950年代初頭に地元のクルマ好きたちによって新しいコースを造るために使われました。1954年には、ゴールドカップでF1からスポーツカーまでマシンを集めて満員の観衆を喜ばせ、その後はご存知の通りです。見た目よりずっと速くて難しく狭いコースは、レースをするには常に危険な場所で、1990年代初頭に崩れかけの旧サーキットがトップクラスの施設に改修されました。2004年に再び改修されて現代的なサーキットのスタンダードになり、歴史的なゴールドカップの復活が「北のグッドウッドの復活」というサーキットの評判を世界中に広めました。数多くの難しいブレーキングポイントがこのコースの特徴で、ブレーキを制するドライバーが有利となるでしょう。

象徴的なコーナー

ニッカーブルックは長年にわたりその危険さと難しさで定評のあるコーナーで、その名前自体がより伝説性を高めています。全てはブラスター・ベイツという男がやってきて、コースの建設中に倒れた木を吹き飛ばしたことに遡ります。爆発後の瞬間、素早く現場から走り去る二人組が目撃されました。よく見てみると、ブラスター・ベイツは女性の下着が小川に浮かんでいるのを見つけました。ニッカーブルックの伝説はそこから始まったのです。ここで失敗すると、新しい下着も必要になるかもしれません。

シルバーストン・サーキット

シルバーストン・サーキット

場所
イギリス、ノーサンプトンシャー
タイプ
ロードサーキット
トラック
5

イギリスで最も有名なレース会場で、1948年からイギリスのモータースポーツの中心地であり、ドライバーとマシンが限界まで試される超高速サーキットです。1952年に現在とほとんど変わらない形状でオープンし、当初は旧RAF訓練施設の滑走路をつなげて設計されました。速度を落とそうと、きつめのカーブを特徴とする新しいセクションを追加した2010年の大規模改修を含め、長年にわたってコースが改良されていますが、シルバーストンの根本的な性質を変えることは一切行われていません。全力を注ぐ必要がある一連の難関コーナーを持つ、世界有数の高速レースコースです。ここでは本当に自分の腕と車を信頼する必要があります。常に変わりやすい天候も相まって、この高速カーブは要するに、シルバーストンに隠れられる場所はどこにもないのだ、ということを物語っています。勇気を出してエイペックスでスピードを上げ続けなければ、行き詰ってしまうでしょう。

象徴的なコーナー

コプスコーナー。新しいコプスは、他の幾つかと同様に難しいコーナーです。入り口は完全に見えず、ダウンフォースを得た車でのエイペックスでのスピードは約280キロ、横力は2G、ミスを犯す時間や余地は全くありません。

スネッタートン・サーキット

スネッタートン・サーキット

場所
イギリス、ノリッジ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

スネッタートンはシルバーストンと同じく、元々はRAF基地だった超高速コースです。急成長するイギリスのモータースポーツ界にとって、戦後に放棄された滑走路は、無視するにはあまりに魅力的すぎるものでした。1948年までに、このコースは既に大規模なクラブレースが行われる場となっていましたが、1950年代にジム・ラッセルがここで世界初のレーシングスクールを創設すると、その地位は確固たるものとなりました。1970年代が終わる頃には、スネッタートンはイギリス有数の素晴らしいレースコースとなっており、平坦な土地を活かした広いランオフエリアを持つ、最も安全なコースの一つでもありました。1970代半ばにコースの大部分が切り取られ、現在人々の意欲をかき立てているサーキットの形にまでレイアウトが縮小されました。イギリスで24時間レースを開催した最初のコースで、イギリス国内のモータースポーツでは今でも人気の、稼働率の高いコースであり、個人によるドライビングやレースがいつも行われています。特にGTカーにとって、ここは楽しい狩場となります。

象徴的なコーナー

第4コーナーのアゴスティニは普通のありふれたヘアピンに思えますが、入ってみるとブレーキをはるかに深く踏み込む余地があります。このコーナーをシングルエイペックスではなくダブルエイペックスと考えると、ブレーキゾーンでより切り詰めることもでき、コーナーをより早くより深く出ることができます。

ドニントン・パーク

ドニントン・パーク

場所
イギリス、ダービー
タイプ
ロードサーキット
トラック
2

イギリスで最も古く、初の本格的なロードコースであるドニントン・パークは、1930年代におけるイギリスのモータースポーツの黄金時代をもたらしました。戦後から1970年代までの長い間、広大な郊外で放置されていた時期もありますが、現在でも戦前の華やかさを保ち続けています。荒廃していくこのサーキットを救ったのは、イギリスの田園地帯にグランプリレースを復活させるという野望を持っていた地元の大富豪、トム・ウィートクロフトでした。事業の大部分を自己資金で賄ったウィートクロフトは、ついにF1選手権の1ラウンドを手にすることになります。冷たい雨が降るある日の午後に、ブラジル人のスーパースターが神業を見せた決して忘れられることできないレースでした。直線と呼べるようなエリアがほとんどなく、コーナーはきつく、上り坂の頂点も分かりにくいこの厄介なサーキットは、今日においてフォーミュラEの国際本部が置かれる場所となっています。

象徴的なコーナー

メルボルンからゴダードにかけてのエリアは、そこからウィートクロフト・ストレートに出るため非常に重要です。入り口で広く入りたくなる気持ちを抑えて、鋭い角度で侵入してメルボルンのエイペックスに向かい、ゴダードではインをキープしましょう。大勢のドライバーが目に入るはずです。

キャドウェルパーク

キャドウェルパーク

場所
イギリス、リンカンシャー
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

ここがミニ・ニュルブルクリンクと呼ばれるのには理由があります。狭くて起伏の激しいコースであり、青々と茂る谷間では浮き沈みのある厄介な一連のコーナーを進んでいくことになります。そんなキャドウェルパークは、1920年代後半からドライバーとファンを虜にしてきました。この美しいサーキットは、ブランズ・ハッチと同じく芝生コースとして開設され、戦後数年でループを拡張して現在のデザインとなりました。狭いクラブレーシングコースでありながら、ジメジメとした寒い午後に数多くのワールドチャンピオンがシングルシーターのキャリアの初期においてこの場所で優れたテクニックを披露してきました。非常に手ごわいコースであり、慎重に走っていても全ラップ中2回はジャンプしてしまうでしょう。しかしライン取りを覚えてしまえば、ここがドライバー中心のコースであることが分かります。ここでは常にドライビングスキルが求められますが、コースが湿っている時は特に重要となります。

象徴的なコーナー

ホールベンズでしょう。この一連のカーブがこのコースの特徴です。縁石を使って緩めることでスムーズに進入しましょう。進入したら思い切ってアクセルを踏まないと、うまくいっていたのが一瞬で終焉を迎えることになります。

ブルノサーキット

ブルノサーキット

場所
チェコ、ブルノ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

多くの者が戻ってこない深い森に向かう25キロのダートコースだった1930年代以来、ここでレースが行われてきました。1980年代半ばに、オリジナルのコースの素晴らしい舞台の中に全く新しい施設「アウトモトドローム・ブルノ」が造られ、鉄のカーテンの向こう側の数少ないコースの一つとなり、ファンは国際レースを垣間見ることができました。舗装道路と優雅なコーナーの幅、そして数多くのきついブレーキングスポットが常に競り合いをけしかけ、純粋な度胸試しである第1コーナーの明らかな例外を除けば、ほとんどどこでも追い越しを仕掛けることが可能です。様々な起伏の変化があり、分かりにくい入口と難しい出口のライン取りを正しく理解することが、このテクニカルで楽しいコースをマスターする鍵となります。

象徴的なコーナー

第9コーナーはアンダーブレーキングが全ての試練です。ブレーキを踏むのはできるだけ遅くする必要がありますが、この道は下り坂に向かっているためロックアップが起こりやすく、リアエンドを失うことはさらに起こりやすいのです。ブレーキをきつくかけすぎたまま内側に曲がることに全力を傾けると特にそうなります。速いトレイルブレーキで入口に入ってもリアエンドが止まるという自信がなければ、早めにブレーキをかけて出口を押さえることに専念しましょう。

アズールサーキット

アズールサーキット

場所
モナコ、モナコ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

華やかなフレンチリビエラへようこそ。アズールサーキットは伝統的な入り組んだ市街地コースで、わずかなミスも許されず、追い越せる場所は非常に限られています。狭く曲がりくねっており、まともに直線と呼べる部分がほとんどないこのコースは、あらゆるドライバーの弱点をさらけ出します。正確さが要求され、雨の場合は一流ドライバーだけが壁への接触を避けて優勝争いができるでしょう。

象徴的なコーナー

第1コーナーは厄介な右カーブで、少し速度を出して追い越しを試みたりもできる蛇行した上り坂に続いており、そのおかげで出口が非常に重要なものとなっています。問題は、このコーナーには車を吸い込んで壁に向かって吐き出すというタチの悪い癖があるということです。エイペックスを見逃すとキャンバーが何かと問題になり、ブレーキングポイントが見つけづらくなります。ブレーキをかけるのが早すぎると、内側に切れ込んでクラッシュしてしまうかもしれません。ブレーキを離すのが遅すぎると、アンダーステアして壁に向かってしまうでしょう。しかし正しく理解すれば、世界で屈指に骨の折れるコーナーをマスターしたことになります。大事なのはターンインの時で、勇気を持って十分にスピードを落として滑らかにエイペックスに入り、スロットルを操作する際に適切な静止摩擦を得ることです。

アズールコースト

アズールコースト

場所
フランス、コートダジュール
タイプ
ロードサーキット
トラック
4

ここには4つのコースがあり、地中海の青い海の周囲を進んでから山を駆け上がっていきます。全体ではロングコースとなっており、マシンとドライバーにあらゆる難題をもたらすでしょう。スーパーカーなら8分以内で上って下ることができるかもしれません。曲がりくねった道を覚えて、途中でピクニックをしなければの話ですが。ここはスーパーカーの真のパフォーマンスを体験するには理想的な場所と言えます。

象徴的なコーナー

スタートラインから約1分で海岸道路に入り、思っているよりずっと早く環状交差点にやってきます。早めに準備して、ターンインとエイペックスではたくさんある縁石を利用しましょう。ただし、間違うと痛い目に遭います。正しく理解すれば、自信を持って山に入り、貴重な数秒を稼ぐことができるでしょう。

ルーアン・レゼサール

ルーアン・レゼサール

場所
フランス、オリヴァル
タイプ
ロードサーキット
トラック
2

今では廃墟があるだけで、ほとんど何も残っていませんが、数十年前はこのルーアン郊外に長く伸びた並木道に、世界有数の素晴らしいレーシングコースがありました。速くて危険で容赦ない… そしてかなり不気味なコースでした。ピットからヌーボーモンドの石畳のヘアピンにかけての下り坂部分(スラローム走行そのものです)は、伝説が生まれた場所でした。アクセルから足を離さずに丘を下るたびに、ドライバーが定義されるのです。ワールドチャンピオンのデニー・ハルムは、何年も経ってからこう回顧しました。すなわち、ドライバーはピットを過ぎたらライバルに目を配りながらも、車がシックスフレールを進む際に自然と生じる足の震え、つまり漠然としたためらいが生じていないか注意したものだと。クラーク、ガーニー、ファンジオ―—アクセルから足を離したドライバーは一人としていない。そう言われていますが… もちろん当時、ドライバーの嘘を見破れるデータ測定技術はありません。腕と勇気を試す究極のテストを受ける覚悟はいいですか?

象徴的なコーナー

シックスフレール。やることは単純です。アクセルから足を離さずに、ヘアピンまでカーブを駆け降りる。1つ失敗すれば終わりです。

カリフォルニアハイウェイ

カリフォルニアハイウェイ

場所
アメリカ、カリフォルニア
タイプ
ロードサーキット
トラック
4

全体のレイアウトとしてはカリフォルニアの丘へと入っていく見事なコースです。ここは長い直線と多くのコーナーが申し分なく混ざっており、あなたのマシンの性能を試すには理想的な場所です。何百もの直線とコーナーがありますので。予想を裏切らず起伏の激しいコースで、またトップスピードに乗れる場面が何度もあります。特につり橋を越えてからが顕著です。このコースはタイトで大きな事故を引き起こしがちなので、コースに詳しくないならレースの主要ラインを離れましょう。

象徴的なコーナー

ラップが6分に差し掛かるあたりで(コルベットスティングレイのような車でペースを刻んでいる場合)、道路の左側にある小さなモーテル/レストランを通り過ぎるでしょう。しかし丘の陰に隠れているので見ることはできません。その丘はマシンが完全に宙に浮いてしまうほど急なのです。大部分の良識ある人々は飛んで行ってしまう前にアクセルから足を放してマシンを制御します。しかし良識が正解とは限りませんよね?

モハーベ

モハーベ

場所
アメリカ、アメリカ南西部
タイプ
ロードサーキット
トラック
5

モハーベの乾いた砂漠周辺に造られたこのコースは5つの非常に広いレイアウトが結びついていて、その一つ一つが難関です。どのレイアウトも弧を描くコーナーと起伏のある直線があり、スピード比べと激しい競り合いの両方をもたらします。純粋な競り合いを求めるなら、常に競り合いを生み出しそうな弧を描く高速コーナーを備えたショートコースのコヨーテ・ヌースです。ラップも非常に短く、速いマシンなら1分を大幅に切り、覚えやすいコースと言えるでしょう。

象徴的なコーナー

最後の左カーブは、最終ラップにドラフト走行で追い越す準備を整えるのに絶好のコーナーです。入口には細心の注意が必要で、少しアクセルから足を放してマシンを制御することが求められますが、バンクは利用しやすく、上り坂の高度はわずかであり、その全てがマシンを制御するのに役立つでしょう。しかし少しでも間違うと、第1コーナーまでずっとそれを後悔することになります。しかし、なんとか抜け出してここを出ると、チェッカーフラッグまで最高の気持ちで走り抜けられるでしょう!

モニュメントキャニオン

モニュメントキャニオン

場所
アメリカ、コロラド
タイプ
ロード/ストリートサーキット
トラック
3

モニュメントキャニオンは荒涼として隔絶された壮観さが特徴であり、独特な方法であなたの実力を試す3つの見事なレイアウトで構成された理想的な場所です。卓上台地とも呼ばれるメサを眺める走りでは、狭いコーナー、非常に長い直線、衛星アンテナ網よりも広くズラリと並んだコーナーをジェットコースターのようなに駆け抜けることになります。ここでは全てを素早く行わなければなりません。下り坂のコーナーでは優れたブレーキバランス、上り坂の走りではトルク、アプローチが分かりにくくエイペックスが曖昧な、長くて高速で走る、弧を描くカーブではグリップが重要です。メサを眺める走りは短いわけでもありません。様々なマシンを乗りこなして、ここのラップで3分を切れたら上出来でしょう。

象徴的なコーナー

第7コーナーは一連のきついコーナーの後に現れる左カーブで、長い傾斜に続いているためエイペックスと出口を正しく理解しておく必要があります。入口を正しく理解して—これは後半のエイペックスですが、それでも可能な限りスピードを出したほうが無難です—素早くエイペックスを見つけ、ホイールとスロットルを開放し、ホイールスピンさせずに早めにパワーを落とせば準備完了です。我慢できずにスピードを出しすぎてタイトな入口に入ると出口で台無しになり、ラップタイムにも影響が出て、何をそんなに焦ったのかと考え込むことになるでしょう…

インディアナポリス・モーター・スピードウェイ

インディアナポリス・モーター・スピードウェイ

場所
アメリカ、インディアナポリス
タイプ
ロードサーキット/オーバル
トラック
2

イギリスのブルックランズのオーバルに影響を受けたインディアナポリス・スピードウェイの歴史は、モータースポーツの黎明期である1909年にまで遡り、そのレイアウトは今日まで手付かずのままとなっています。オープン当初、このコースの舗装は最悪で、320万個のレンガで舗装し直されました。それが「ブリックヤード」という名前の由来です。一方、理由は明らかですが、スピードウェイという言葉もここで作られました。ここは高速で難しいオーバルで、強靭な神経が要求されます。マシンはダウンフォースと引き換えにトップスピードに入り、ドライバーのコンディション感覚以外にはほとんど何も頼らなくなり始めます。2000年にブリックヤードは世界最高のシングルシータードライバーたちを町に招待し、今日まで残っているロードコースがレースの舞台となりました。バンクを果てしなく駆け上がってメインストレートを下る厳しいレイアウトで、このオーバルを制した者には1936年以来インディのシャンパンとなっている冷たい牛乳が与えられます。モータースポーツの伝承は、インディ500で優勝することほど特別なものではありません。

象徴的なコーナー

オーバルの第1コーナーは、勇敢な者を善良な者と区別するコーナーです。タイトで、スロットルを入れ始めるとすぐに壁が狭まり、ターン中に車体が浮いてしまうと、あっという間に目も当てられない事態になるでしょう。ここのどこかでミスをした場合は、第2コーナーまでに失う順位がわずかであることを祈るしかありません。

ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ

ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ

場所
アメリカ、サリナス
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

モントレー半島の自然の丘の上にある美しく優雅なレースコースで、世界有数の悪名高いコーナーを特徴とするラグナ・セカは、注目すべきドライバーズサーキットであり、高速カーブ、激しい起伏、そしてうまくエイペックスが隠された超高速コーナーが混ざり合っています。干上がった沼の周辺に造られた(それが名前の由来)このコースがオープンした1957年以来、国内レースおよび国際レースに欠かせない存在となっています。激しい高低差によって世界屈指に愛される困難なコースの一つとなっており、コークスクリューでは20メートルの落差、第8コーナーと第9コーナーの間では10階分ほどの落差があります。

象徴的なコーナー

ラグナ・セカの第1および第2コーナーはタフなダブルエイペックスの組み合わせで、コークスクリューほど壮大ではありませんが、スピードを探求する場合はむしろこちらのほうが重要です。ドライバーはこの連続左カーブのコンボを抜けようと様々な手段を見つける傾向にありますが、一番速いのはトレイルブレーキで第1コーナーに入り、第2コーナーの入口で膨らみすぎないようにすることです。正しく対応するのは大変です。第1コーナーの入口で可能な限りスピードを維持しつつ、できるだけ早く第2コーナーの出口でパワーを均一にできるようにしっかりと減速もしたほうが良いでしょう。

アキュラグランプリ・オブ・ロングビーチ

アキュラグランプリ・オブ・ロングビーチ

場所
アメリカ、ロングビーチ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

「カリフォルニアのモンテカルロ」、イギリス人の旅行業者クリス・プックはそう言って大胆な計画を売り込み、1970年代にアメリカの西海岸にF1レースを持ち込もうとしました。このモナコがどこになるかを彼が説明すると—とっくに盛りを過ぎて荒廃している衰退した街、ロングビーチなのですが—見込みのある投資家たちの反応は決まって同じでした。それはやめたほうがいいと。プックは譲らず、気が付くと最終的にロングビーチの態勢は整っていました。1976年にF1が町にやってきてプックの夢は現実となり、ロングビーチの活性化は成功して、このコースは瞬く間に世界有数の重要で有名な市街地レースとなりました。至るところで路面が変化し、遅いコーナーと速いコーナーが混ざり合ったサーキットのコンクリート壁のトンネルを走り抜けるロングビーチは、度胸、タイミング、スタミナを真に試す場所です。少しでもミスをすれば、壁が一瞬でレースを終わらせるでしょう。

象徴的なコーナー

ロングビーチの有名な「ヘアピンコーナー」である第11コーナーは、市街地サーキットでは珍しい—長い直線—につながっていて、たった一つのことを意味しています。それは出口のスピードが最も重要ということです。第11コーナーはこのサーキットで最もタイトなので、このコーナーのエイペックスを正確に回り、最大限に加速したまま出て、長いショアラインドライブに突入して第1コーナーに向かうことが非常に重要になってきます。第11コーナーの出口が滑らかだと、第1コーナーを進むのに必要な激しいブレーキの前のトップスピードで時速8キロほどの違いを生み出します。上手くやれば、この全長約3.2キロのコースで速いラップを刻める、ロングビーチのストリートサーキットです。

ロードアメリカ

ロードアメリカ

場所
アメリカ、エルクハートレイク
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

ロードアメリカは別名ナショナルパーク・オブ・スピード、北アメリカの最も手ごわいロードサーキットで、1954年からドライバーたちに恐怖とスリルを与えてきました。もともとのレイアウトが今日までほとんど変わらず残っていますが、それも不思議ではありえません。ここまで完璧で根源的なものを改善することなど不可能です。部分的にはスパの最高のカーブが思い出されるでしょう。そして全力を傾けることが求められる数々のコーナーを追加し、特に入口のスロットル投入で困難な状況になる第11コーナーは、確実にリアエンドが深刻な速さで動き回ります。ここを高速で走り抜けるのはシンプルでありながらも難しいと言えます。エイペックスをしっかり狙い、この狭く曲がりくねった特別なサーキットでは早めにパワーを落としましょう。

象徴的なコーナー

第5コーナーは興味深い鋭い左カーブで、長い直線の先端に現れます。ブレーキを踏みたいところでわずかなねじれと下り坂の傾斜があり、ここがこのコースで最高の追い越し地点となりますが、ここでレースが終わってしまう可能性もあります。ブレーキ不足で失敗するのがありがちで、ドライバーはわずかでも詰めようとします。トップスピードで、ブレーキペダルを1秒でも遅らせれば、タイムシートで大きな結果となる可能性があります。しかし問題はコースが足を引っ張るということです。下り坂、わずかなねじれ、気難しいエイペックスは全てあなたを窮地に陥れるために機能しています。グリップが乏しいため、出口で大きく横滑りするライバルを追い落とす機会がたびたびあるでしょう。

ソノマ・レースウェイ

ソノマ・レースウェイ

場所
アメリカ、ソノマ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

カリフォルニアのワインカントリーの起伏ある緑の山々と渓谷、そして1968年に建設された美しいレース施設、ソノマ・レースウェイの会場へようこそ。アメリカのモータースポーツシリーズやクラブレーサーが多数利用する、見事に長く伸びたレースコースです。また、おそらく北アメリカで最もテクニカルなサーキットでもあります。そのため、ここは世界有数の重要なレーススクールのうち3校の所在地となってきました。1校目のボンデュラントスクールがスキップ・バーバーになり、最終的にジム・ラッセルのスクールになりました。なかなか秘密が明らかにならないサーキットでもあります。ペースをつかむにあたり、いくつか独特なコース取りを要求するコーナーがあるからです。

象徴的なコーナー

第4コーナー。ソノマのドライバーコーチはみんな、生徒たちからこんな言葉を聞くでしょう。「車が第4コーナーを通過する!」 アンダーステアで第4コーナーに入ってしまう、というのがソノマで最もよく聞かれる不満ですが、帰ってセットアップを変更し、車のフロントエンドを安定させる前に、まず自分のドライビングを修正してみましょう。ここのブレーキングゾーンは全て下り坂で、コーナーに全力を注ぐ際にキャンバーが足を引っ張るため、考えているよりずっと早くブレーキを踏む必要があります。そしてターンイン時には絶対ブレーキを踏まないことです。直線で減速していれば、車のバランスをうまく保つことができます。アンダーステアのおそれは消え、ラップタイムがお礼をしてくれるでしょう。

テキサス・モーター・スピードウェイ

テキサス・モーター・スピードウェイ

場所
アメリカ、フォートワース
タイプ
ロードサーキット/オーバルコース
トラック
3

もしテキサス人に、もうすぐスーパースピードウェイに乗ると言われたら、よく耳を傾けるべきです。テキサス・モーター・スピードウェイを例にとると、そのコーナー4つのオーバルは、1994年に世界中の人々にスピード―—テキサススタイル―—の本質を知らしめました。ローン・スター・ステイトの真の伝統を受け継ぎ、テレビで報じたとおりのこと―—スピードをオーバルは正確に伝えたのです。常軌を逸した、狂ったスピードです。チャンプカー・シリーズが町にやってきた2001年には、その速さのあまり、ポール・トレーシーがラップ平均386キロを記録しました。確かに速いですが、彼がコーナーを抜ける時に受けていた負荷に比べれば、何ほどのこともありません。負荷はけた違いの―—5Gでした。主催者はドライバーがレース中に意識を失うことを恐れ、あと数時間というところでイベントは中止となり、チャンプカーは二度と戻ってきませんでした。ロードコースが建設されてオーバルコースとインフィールドセクションをつなぎ、町にGTの観客を呼び込んだのもその頃でした。危険な速さで密集して走る、とてつもなく速い場所で、1つのミスで玉突き事故になります。

象徴的なコーナー

オーバルコースの第1コーナーは度胸試しには最高です。何を運転しているかに関係なく、緩い走りでこのコーナーに飛び込むと、運命は自分の手を離れます。とにかくマイケル・マクドウェルに聞いてください。緩く入ってしまっても、ふかさないこと―—バンクに弾かれて顔から壁に突っ込むことになります。

ワトキンズ・グレン・インターナショナル

ワトキンズ・グレン・インターナショナル

場所
アメリカ、ワトキンズグレン
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

戦後すぐ、隣接する3州とカナダの車好きがニューヨーク州北部の美しいフィンガーレイクス地域にやってきて、田舎道と森を通る公道で週末のレースを開催していました。このレースの人気(そして危険性)―—ウィリアム・ミリケンという男も常連でした(著書『Race Car Vehicle Dynamics』がレース競技のバイブルとなっているミリケンと同一人物です)―—から、1956年に専用施設を建設せざるを得なくなりました。ミリケンが、このワトキンズグレン近郊に建設された新しいサーキットの設計顧問を務めました。実に見事なコースです。速くて危険、ひと続きの天然のキャンバーがあるコーナーでは美しいニューヨーク州北部を進みます。秋にはF1が町にやってきます。ワトキンズグレンは今でも世界有数の刺激的なレースコースなのです。

象徴的なコーナー

グレンでは第1コーナーが最も重要なコーナーです。ここで失敗すると、丘からカーブを抜けたバックストレートまでずっと苦しむことになります。正しくやれば、ストップウォッチに結果が現れるでしょう。第1コーナーのブレーキングゾーンは丘の下りで、最もありがちなミスはブレーキゾーンを広げようとすることです。もう一つのミスは、ブレーキを離して車のバランスを保ちながらコーナーに全力を注ぐのではなく、コーナーでブレーキをかけようとすることです。天然のバンクと下り坂の入り口は早めにパワーを上げるのに役立ちますが、それはエイペックスにうまく滑らかに入った場合に限った話です。ここはレイト・ブレーカーにとって最後に残った場所ではありません。早めにブレーキをかけてターン・インし、上り坂に向けて滑らかにエイペックスを回りましょう。

ウィロースプリングス・インターナショナル・モータースポーツパーク

ウィロースプリングス・インターナショナル・モータースポーツパーク

場所
アメリカ、ウェストロザモンド
タイプ
ロードサーキット
トラック
2

モハベ砂漠に建設されたウィロースプリングスは、1953年にオープンしてからそれほど変わっていません。当初の計画では、ここにインディのオーバルを模倣したものを開発することになっていましたが、景観と同じように資金が干上がってしまい、代わりにロードコースにすることで落ち着きました。設計の一部を担ったケン・マイルズは数年後にこのコースを購入しようとしましたが、オーナーのビル・フートに断られました。ここが「西部最速の道路」と呼ばれるのには正当な理由があります。超高速カーブと長い直線が一体となることで、北アメリカ有数の速く広いコースとなっているのです。砂漠なので驚くほど多くの丘があり、ランオフエリアは広く、観客席はありませんが、難度の高いレイアウトのウィロースプリングスは、ドライビング技術とセットアップを磨くには理想のサーキットです。

象徴的なコーナー

第3コーナーは、警戒の目を逃れるあらゆる危険が潜む厄介なカーブです。やってはいけないことがたくさんあります。早くターン・インしすぎないこと、ターン中に突然キャンバーが下がったらスロットルを入れないこと(必ずスピンします)、出口の右側を進まないこと(第4コーナーの入り口で失敗します)、出口でハンドルを離さないこと―—離せば、すぐに溝と壁がその理由を説明してくれるでしょう。

デイトナ・ インターナショナル・ スピードウェイ

デイトナ・ インターナショナル・ スピードウェイ

場所
アメリカ、デイトナビーチ
タイプ
ロードサーキット/トライオーバル
トラック
2

「レースの世界の中心地」、ナスカーの心の故郷であるここは、デイトナのストックカーレースが地元のビーチで行うには大きくなりすぎた頃に建造されたアメリカの主要なレーシングサーキットです。このコースはミシガンにあるフォードのオーバルテストコースを基礎にしていますが、最高速度に到達させるという大きな野望を1つだけ持ってはるかに大きく造られました。アメリカのストックカーの歴史はデイトナで息づいています。このトライオーバルコースは1959年に開業し、その大きさは驚異的なものと言えるでしょう。1966年には世界クラスのイベントをスケジュールに加えるため、デイトナはデイトナ500に加え、バンクとつながったインフィールドのロードコースによる初の24時間レースを開催し、この24時間レースは世界の3大耐久レースの一つにまで成長しました。

象徴的なコーナー

このロードコースの第6コーナーは、バスストップシケインまで続く長いバックストレートの入口であり、このコーナーでロスするとラップタイムと順位に大きく影響することになります。減速させられるのは、このコーナーの入口の厄介な性質です。全集中力を、できるだけ早く激しくスロットルを動かすという1つのことに向ける必要があります。つまり、エイペックスでのスピードが非常に重要だということです。考え過ぎてタイミングを誤るとオーバーステア、アンダーステア、あるいはスロットルをためらったことを長く嘆くことになるでしょう。

レイクバレー・スピードウェイ

レイクバレー・スピードウェイ

場所
アメリカ
タイプ
オーバル
トラック
4

レイクバレー・スピードウェイは、レイクバレー・フィギュア8、レイクバレー・アウターロング、レイクバレー・アウターショート、レイクバレー・オーバルの4つのコースで構成されています。ユタ州の山々を背景に、夜間トレースのための素晴らしいライトショーが行われるSMSオリジナルの唯一無二の場所です。ぜひあなたのレース能力を試してみてください。お気に入りのレーサーや車で、オーバルの上を駆け抜け、グランドスタンドの下やフェアグラウンドの中、狭いトンネルを駆け抜けましょう。いかなる車でもここでのレースは常にタイトなので、レースクラフトを持ってきてください。15度のオーバルはタイトで難しく、ドラフトで先頭に立つしかありません。アウターショートとアウターロングのレイアウトでは、オーバルの1セクションを走ってからグランドスタンド下のトンネルを抜け、スタジアムを出てユタの荒涼とした美しさの中を走ることもできます。

象徴的なコーナー

レイクバレーのアウターロングでは、5番と6番の2つのタイトな左コーナーがスタジアムセクションの外に出ていて、1つのヘアピンと考えてください。テールを取って両方をドリフトして、お金で買える最高の楽しさを味わってください。

サキット

サキット

場所
日本、サキット
タイプ
ロードサーキット
トラック
4

このGP全体のレイアウトでは、セットアップ、パワー、ドライビング能力が大きく試されます。カーブによってマシンの持つハンドリング性能がすぐに分かります—見事にバランスのとれたマシン以外はここでラップタイムを食いつぶすでしょう。2つの長い直線、非常に鋭い右カーブ、2つのきついブレーキングゾーンが一体となり、マシンまたはドライバーの欠点を明らかにする8の字となっています。真のドライバーに相応しいサーキットです。

象徴的なコーナー

第1コーナーと第2コーナーは2つのエイペックスと右カーブの組み合わせで、正確に言えばほぼ1つのコーナーとなっています。第1コーナーの入口と出口が、第2コーナーのイン&アウトで起こる多くのことを決定付けます。第1コーナーで必要なのは勇気です。第2コーナーのためにどれだけ準備を整えられるかが非常に重要になってくるため、出口で妥協することなく、ここで可能な限りスピードを出さなくてはなりません。いい加減に第1コーナーを出たり制御を失ったりすると、第2コーナーでブレーキをかけて滑らかに走ることができなくなってしまいます。第1コーナーでスピードが遅すぎると既にラップをロスしているので、集中してこれらのコーナーを理解しましょう。

富士スピードウェイ

富士スピードウェイ

場所
日本、静岡県、駿東郡、小山町
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

1966年にオープンした富士スピードウェイは、半世紀以上にわたって日本のモータースポーツにおける繁栄地となっています。1960年代の駆け出しの時代以来、富士スピードウェイでは日本グランプリや日本初の24時間レースなど多くのレースを開催してきました。1970年代には国際シリーズのレースを開催し、F1世界選手権と世界耐久選手権を開催した最初のサーキットとなります。それと同時に日本のトップサーキットの一つへと進化し続け、富士グランチャンピオンレースのような独自の新しいレースを生み出しました。近年ではル・マンの24時間レースやスーパーGT、スーパーフォーミュラのような人気シリーズを軸としたWECシリーズのレースを新たに開催するのに加え、2018年からスーパー耐久シリーズで24時間レースを復活させました。

象徴的なコーナー

象徴的なセクション - ラスト3セクター:富士スピードウェイには2つの大きく異なる特徴があり、最初のセクションは非常に高速で最後のセクションは非常にテクニカルになっています。この独特なレーストラックでは、過去に数多くの熱戦が繰り広げられました。最初の長い直線と次のテクニカルな部分とが結びついていて、セットアップで最高のバランスを見つけることが極めて重要になります。最後のセクターは特にキャンバーが異なってくる非常にテクニカルなものであり、そこから連続コーナーに入ります。ドライバーにとっては厄介で難易度の高い場所と言えるでしょう。

スポーツランドSUGO

スポーツランドSUGO

場所
日本、村田
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

ヤマハが建設、資金提供するSUGOは、日本の田舎にある静かな公園のような場所に、1975年に建てられました。起伏のある山々に囲まれた最初のコース―—一つが車用、一つはオートバイ(モトクロス)用でした―—は、安全面やランオフの点でほとんど整っておらず、1980年代後半に大規模な改修が必要になりました。国際的なモータースポーツの大舞台とは言えませんが、日本ではSUGOは愛される大事なモータースポーツ施設であり、F3000からアジア最高のツーリングカー選手権、全日本選手権まで、ほぼ全ての日本の有名なシリーズの中心地となっています。タフで狭いクラブのようなこのサーキットは、才能あるドライバーが低水準のマシンに乗って表彰台に上がることがたびたびある場所です。丘と弧を描くコーナーの見えにくいエイペックスを備えたこの高速サーキットは、究極のリズムを持つコースで、ダウンフォースの高い車向きとなっています。とにかく縁石と天候から目を離さないようにしましょう。

象徴的なコーナー

110R。日本のコースではよくあることですが、110とはコーナーの半径を意味します。当然ながら、とても高速で、とても魅力的で、とても危険です。アクセルから少し足を離しつつ、下り坂に入ると、急激にコーナーが上がる際にスロットルを入れやすく、キャンバーがより多くのグリップをもたらし始めます。とにかく簡単に制御を失わないようにすること、スロットルを落ち着かせること、そして車のバランスを崩さないことです。ランオフはほとんどなく、高速でこのコーナーに入るため、ここで制御を失うと非常に大きな事故になってしまうでしょう。

ワイルドクレスト

ワイルドクレスト

場所
南アフリカ、ウエスタンケープ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

好き嫌いの分かれる素晴らしいこのコースは純粋で伝統的なクラブサーキットであり、それほど直線は多くなく、曲がりくねった短いレイアウトに10余りのコーナーが用意されています。あまり整備されていない、ランオフエリアがなく、多くの観客席が色あせてボロボロのこのコースは、ドライバーたちが名を上げるために日曜日の午後にやってきます。ここで速くなるために必要なものは、優れたグリップと加速を備えたシャープなフォルムのマシンです。あとは時間ですね。ショートコースですが非常に狭くて窮屈であり、ここで理想のコース取りを見つけるには忍耐と経験が必要になるでしょう。

象徴的なコーナー

第9コーナーがクラッシュポイントです。ここで激しく競り合った者は必ずこのコーナーで脱落することになります。内側の縁石が入口を間違えさせ、大きくショートカットできるという期待を持たせますが、実際はそうではないのです。容赦のない厄介な右カーブであり、スピードを出し過ぎて進入すると、ブレーキペダルを踏むより早く壁に突っ込んでしまうでしょう。しっかりとブレーキをかけて分かりづらい入口に全力を注ぎ、技術があるならリアブレーキを緩めてパワースライドさせながら出ましょう。第9コーナーはヒーロー向けです。しかし勘違いすると間抜けに見えてしまうのでご注意ください。

バノックブラエ

バノックブラエ

場所
イギリス、スコットランド
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

どんな時でもスコットランドの田舎町を突っ走るのは冒険であり、美しい小さな湖の周囲を進んで起伏のある高地の丘を駆け抜けるこのコースは他に類を見ません。主に非常に高速で走るカーブと直線であり、大きなトルクとトップスピードを備えた車に有利です。コースに詳しくなれば、秋の肌寒い朝にスーパーカーを持ち出すには最高の場所となるでしょう。速くて厳しく美しい、ドライビングにこれ以上のところはありません。

象徴的なコーナー

ここはコーナーが非常に多く、景色や目印を見つけて覚えることでこのコースを学ぶことになるでしょう。早期に見つけることになる目印は—きっとコースを学んでいる最初の数回はここで大きな瞬間を迎えるでしょう—ラップの終わり付近に現れます。前方にメサ型の丘と左側の2軒の白い家が見えてくるはずです。それらの前には険しいコーナーが待ち構えています。ここに来るまでに出会ったほとんど全てのコーナーよりきつく、警告もなく急激に狭くなる出口であなたを窮地に陥れるでしょう。早めにブレーキをかけて序盤のエイペックスに入らないと、何度やっても外側のフェンスにぶつかることになります。

ノックヒルレーシングサーキット

ノックヒルレーシングサーキット

場所
スコットランド、ファイフ
タイプ
ロードサーキット
トラック
5

スコットランドの主要な恒久的レーシングコースは短く、200メートルを超える高度変化に5つの様々なレイアウト(反時計回りに走るなど)のある厳しい条件で、ピットを飛び出すたびに必ず純粋な楽しみがあります。モータースポーツ愛好家で 農家のトム・キナードが丘の表面を掘り、使われていない古い線路をたどって自力で造ったこのサーキットは、1972年にオープンして瞬く間に大成功しました。1980年代までにここで史上初のスコットランドのF1レースを開催する計画が持ち上がり、拡張と近代化が進められました。しかしその夢が実現することはなく、ノックヒルをイギリスで最も愛されるサーキットの一つに成長させるため1990年代にさらなる資金提供が必要となり、今ではイギリスツーリングカー選手権やその他のナショナルシリーズのおかげで、このコースはスケジュールの重要な一部となっています。標高変化の多い忙しいコースで、ここで速くなるには腕と勇気、成熟したレース技術が必要になるでしょう。

象徴的なコーナー

ダファス・ディップという一歩間違うとどんなドライバーでも不格好に見えてしまう、相応しい名前の付いたこのコーナーは、イギリスのモータースポーツで困難なコーナーの一つとして広く知られています。きつくて、下り坂に向かうエイペックスが分かりにくいという特徴があり、ブレーキ不足で入口でラインを外す、パワー不足でエイペックスを外す、出口を完全に見逃すというのが、このコーナーを大きく勘違いする3大パターンです。どのパターンを選んでも駄目なのですが、ここの丘の下りでは必ず厄介ごとに巻き込まれるでしょう。

ハバナ

ハバナ

場所
キューバ、ハバナ
タイプ
ストリートサーキット
トラック
3

5度のF1ワールドチャンピオンであるファン・マヌエル・ファンジオが1958年に革命軍に誘拐されてから数年後、1960年のハバナGPを最後にレースは行われていない。(そう、彼は釈放されてから優勝したのだ!(注:ファンジオは58年に引退。58年のキューバGPにも出場しておりません。また60年のF1非選手権大会のキューバGPに優勝したのは同じマセラッティチームにいたスターリング・モスとなります))。
1958年のグランプリは、世界的に有名なマレコン通りを走るストリートレースでした。それから70年後の今、このマレコン通りを自分の手で走れるチャンスを得ることができました。ハバナ・トラックには、ハバナの旧市街を中心に構築された3つのレイアウトがあり、カピトリオ・パス・レイアウトでは、ハバナの旧市街、マレコン通りを下って、クラシックなエル・カピトリオの周りの景色を楽しむことができます。しかし、これがただのストリートサーキットだと思っていたら、とんでもないことになるかもしれません。長いストレート、非常に難しいダブルエイペックスのコーナーが2つあり、コース幅が広いため、追い越しのチャンスは多く、さらには非常に大きなミスをする可能性があります。周囲の歴史的建造物を壊さないように気をつけましょう。

象徴的なコーナー

3コーナーと4コーナーは、2つのリンクしたクラシカルな右カーブで、伝説の海浜遊歩道であるマレコン通りの長い区間に入ります。T3への進入はT4出口でのポジションを決定します。3コーナーを犠牲にして4コーナーから完璧なスタートを切ることが重要で、最初の右コーナーで欲張りすぎて4コーナーのエイペックスを逃してしまうと、マレコン通りの下りでずっと苦しむことになります。ですが、T3でスピードを落としすぎると、貴重なコンマ1秒を失うことにもつながります。ドライバーとマシンとの相性が真に試されるこのコーナーを、正しく走りきることは難しいでしょう。
このコーナーにはいい面もあります。もし間違えたとしても、少なくともヤシの木とカリブ海の暖かい風は、あなたを慰めてくれることでしょう。

ポルシェ オンロードサーキット

ポルシェ オンロードサーキット

場所
ドイツ、ライプツィヒ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

もしあなたが世界最高のスポーツカーやレースカーを作る仕事をしているのであれば、オーナーには世界中を飛び回って地球上で最も素晴らしいコースでテストするように依頼するでしょう。もしポルシェ社員であれば、最高のターンのある最高のサーキットで、FIAの認定コースでもあるテストコースがバックヤードにあるですから、オーナーが工場から新車を受け取ったらすぐに新車を試乗してもらうことができます。
スパ(・フランコルシャン)のバスストップシケインからモンツァのレズモコーナー、ラグナセカのコークスクリューからニュルブルクリンクのカルッセル、モナコのロウズヘアピンからセブリングのサンセットベンドまで、ポルシェのテストコースは、すべての要素を備えており、他のどこにもないようなテストを行うことができます。ここで速く走れれば、あなた自身を完全なドライバーと呼ぶことができるでしょう。

象徴的なコーナー

Mobil 1 S. ニュルブルクリンクのGPコースを模して作られたこのコーナーは、様々な方法であなたを駆り立てます。縁石を飛び越えるのか、それともリアが緩む危険を最小限に抑えるのか、それともファーサイドから入るのか、それともタイトなラインを取ってターンを真っ直ぐにするのか? 正しい方法はありませんが、ここには間違った方法がたくさん潜んでいます。

ホッケンハイムリンク

ホッケンハイムリンク

場所
ドイツ、バーデンビュルテンベルク
タイプ
ロードサーキット
トラック
4

1938年のホッケンハイムリンクは恐ろしいオストカーブが追加されただけでしたが、同じコースがその後60年にわたってすでにドライバーを恐れさせるものとなっていました。ここはニュルブルクリンクではなく、非常に深刻な結果を受けてドライバーに様々な難題を突きつけました—どんなミスも許されない狭いコースをどれくらいの速さで進むのか—ドライバーの問題か機械的な問題か—このコースはシュヴァルツヴァルトの長い夕暮れに向かう2つの果てしない直線が特徴です。「Project CARS 3」に登場するクラシックバージョンのレイアウトは1992年以前のものです。1分を超えるフルスロットルパワー、笑えるくらいのスピード、防護物はほとんどなし、そしてダウンフォースカーではトップスピードを最大限に高める必要があります。それはすなわち、スタジアムセクションに入るとマシンは不安定で危険になっているということです。最終的にはスピードがこの旧サーキットを過去のものへと追いやり、2002年にそれに代わってヘルマン・ティルケにより新しいサーキットが設計されました。そしてこの改修は見事に成功します。数多くの追い越し地点があり、ほとんどが旧スタジアムセクションを中心としたもので、森の中を駆け抜けるコースは大幅にカットされました。

象徴的なコーナー

サクスカーブ。旧コースではここが唯一のヘアピンカーブで、旧スタジアムセクションの一部であり、相変わらず厄介なままです。新コースではここで旧サーキットに合流し、コースの幅は約半分になって、ポジショニングで求められる正確さが大幅に増したことになります。雨の場合、この左カーブで減速するのは非常に困難です。乾燥していれば、入口でキャンバーが予想をはるかに超えるグリップを与えてくれるでしょう。ただ、ブレーキを離すのが遅くなりすぎないように注意しましょう—キャンバーを逃すとここを出るのが遅くなり、それまでの努力が水の泡になります。

ニュルブルクリンク

ニュルブルクリンク

場所
ドイツ、ニュルブルク
タイプ
ロードサーキット
トラック
9

緑の地獄。古代の神秘的なニュルブルク城を取り囲む丘、谷、森で何千人もの人間によって建設されたここは、今もこれからも世界で最も素晴らしいコースとなるでしょう。当初の計画は4つのコースを建設して全てをつなぐというものでしたが、この中で最も素晴らしいのが1927年に最初のレースが開催されたノルトシュライフェでした。25キロの曲がりくねった道、分かりにくいエイペックス、平坦なカーブ、延々と続く直線があり、フェンスもセーフティゾーンもない山々は、マシンを空中に飛び出させました。あまりにも広大なコースで、1980年代になってもドライバーの安全を守るマーシャルなどの要員を十分に確保する方法が見つかりませんでした。1982年の大規模改修により、1984年に初めて使用されたずっと小型のグランプリサーキットが建設されたのを含め、約100年にわたりノルトシュライフェの安全性を高める努力が行われています。しかし結局のところ、ノルトシュライフェより偉大な試練は存在しません。20キロの長いコースと73のコーナー(左が33、右が40)を覚えるのは大変な仕事ですが…。それは試練の始まりにすぎないのです。ここで速く走ることは誰にでもできることではありません。真に偉大な者だけがノルトシュライフェを制すべく近づいてきました。1957年に勝利して数ヶ月後に引退したファンジオはこう言いました。「1957年のあの日、私はついに極めたと信じている。全ての秘密を引き出し、完全に知り尽くしたかのようだった。しかし2日間眠れず、いまだにあのカーブで暗闇の中、あのジャンプをしてるんだ。あそこまでやる勇気が出たのはあれが初めてだった」

象徴的なコーナー

カラツィオラ・カルッセル。ルドルフ・カラツィオラは1927年にニュルブルクリンクで最初のレースに優勝しましたが、それは今ではカラツィオラ・カルッセルとして知られる場所の内側にあった排水溝をコーナリングに利用できたことによる部分がありました。他のドライバーたちが気づいて同じことをし始めるようになるまで、彼にはそれにより少なくとも5秒のアドバンテージがあったのですが、最終的にその溝は舗装されました。そのボウルに入ったらインをキープするようにしましょう。飛び出せばレースは悲惨な結末になります。思っているより速くて、バンクに引き下ろされますが、最終的に外に膨れるので、あらゆるドライバーがノルトシュライフェで学んできた教訓を知ることになるでしょう。

モートルシュポルト・アレナ・オシャースレーベン

モートルシュポルト・アレナ・オシャースレーベン

場所
ドイツ、オシャースレーベン
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

ドイツのモータースポーツの新たな一員で、旧東ドイツに1997年にオープンしたオシャースレーベンは非常に現代的なコースであり、ドイツのツーリングカーレースや人気の高い8時間レースを含めた数々の国内レースシリーズを主催しています。レイアウトが3つあり、主要なモータースポーツシリーズも地元のクラブレーシングも両方楽しめます。広大な農地だった場所に建設されたこのコースは、平坦で速く滑らか、そして非常に安全です。第1コーナーはドライバーが集中し、どうしてもエイペックスでスペースがなくなり、第2コーナーの入口に向けて押し合いになるため、ほぼ必ず1周目の玉突き事故の現場となります。一方で、マクドナルドシケインはマシンブレーカーです。最速のコース取りは縁石の上で、縁石を通るほど早くなりますが…。あまりやりすぎると大抵は壮観な、時には喜劇的な結末で失敗してしまいます。

象徴的なコーナー

トリプルターン。ここがこのコースで最もタフで最難関です。この相互に接続された3つのコーナーで大幅にタイムを取り戻せますが、正しいコース取りを知らないと大きくタイムをロスする可能性もあります。滑らかなターンが必要となるエイペックスが3つあります。簡単な考えですが、2番目のエイペックスに向かう分かりにくい入口が難しくしています。このセクションのどこかで少しでもミスすると、一日中タイミングシートの一番下を追いかけることになるでしょう。

上海

上海

場所
中国・上海
タイプ
ストリートサーキット
トラック
2

上海のストリートレースの歴史は、2004年にドイツのDTMがレースを開催し、観客が街を訪れたことにまで遡ることができます。そして再び、2010年にもDTMのシーズン最終戦が行われました。浦東地区に建設されたコースレイアウトは、ファンとドライバーを楽しませてくれました。最近では、高速道路を下ったところにある専用トラックでモータースポーツが行われていますが、『Project CARS 3』では、世界有数の大都市の街並みや、象徴的な風景の中を走り抜けるレースを体験することができます。

象徴的なコーナー

ウーサン・チェイスがレイアウトしたターン1は、他のストリートレースで見られるような壮大で伝説に残るようなターンです。なぜでしょうか? それは、陸家嘴交通圏(ロータリー)に入るからです。このコーナーは、一見果てしなく続く左コーナーで、高架の上には歩行者用の遊歩道があり、車がアンダーステアなのか、オーバーステアなのかを誰もが確認することができます。ドリフトしてみたり、タップアクセルを踏んでみたり、何をしてもいいのですが、何をするにしても、ずっとタイトな状態をキープしておかないと、T1出口からT2への小さな加速を捨ててしまうことになるでしょう。

珠海国際サーキット

珠海国際サーキット

場所
中国・珠海市
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

高速で平坦、かつ広く滑らかなこのコースは、ドライバーにとってはブレーキの温度に注意しなくてはならない厄介なコースです。珠海は、この常設コースが開設される以前から、急成長する中国のモータースポーツ界の半ば公式的な中心地でした。1993年に珠海市は市街地レースを公式に開催し、ファンのみならずレーシングチームにも大変な人気を博しました。そのため、アデレードにF1コースを造ったグループが1996年に中国初のFIA公認のレースコースを築きました。香港やマカオをはじめとする様々な地域のモータースポーツチームがこのコースを拠点としており、世界中の国際レースが行われています。

ドバイ・オートドローム

ドバイ・オートドローム

場所
アラブ首長国連邦、ドバイ
タイプ
ロードサーキット
トラック
4

速くてテクニカルで難度が高いこの砂丘のユニークなコースは、人気の高い24時間GTレースのシーズン開幕戦が行われ、毎年世界的なモータースポーツの舞台となっています。ここは2004年にオープンしたばかりのコースながら素晴らしい実績があります。広大なランオフエリア、読みづらいエイペックスがあるこのコースは、幸いなことに4つのレイアウトのどこを走ってもその極限を探求できます。それに加えて好天でFIAが完全に統括しており、ドバイ・オートドロームは世界トップクラスのモータースポーツシリーズのほぼ全てを開催しています。また、しっかり把握するのが困難なコースでもあります。ラインが読みづらいことがあり、先の見通せない上り坂の頂点に上る時は特にそうでしょう。ベストな例? 誰か速いドライバーを見つけて、数ラップの間その後ろにしっかりと付いて行きましょう。ここでは速く走り抜けられる論理的なライン取りが一番速いわけではない場合も多いのです。

象徴的なコーナー

第6コーナーと第7コーナーは、あなたの勇気を試す大きな試練となるでしょう…。第7コーナーに正しく対応できるかは、思っているよりずっと速い第6コーナーをどんな形で出られるか次第です。推進力のために第6コーナーの出口で左側に出られなかった場合、ステアリングとは逆に第7コーナーの入口で外側に出ることになり、エイペックスで十分なスピードが出ません。勇気を出して挑みましょう。

ヤス・マリーナサーキット

ヤス・マリーナサーキット

場所
ヤス島、アブダビ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

ヤス・マリーナサーキットがProject CARS 3に登場。ヘルマン・ティルケの設計したヤス・マリーナサーキットは3つのセクターで構成されています。ラップ前半のスタートからターン7までは超高速の面白い区間と、それに続くターンは長い直線の区間であるのに対し、ターン11から21まではストップ・アンド・ゴーの難しい低速コーナーが延々と続きます。
他のいくつかのサーキット同様、このサーキットでもブレーキ能力を試されるのは明らかで、平均ラップのほぼ4分の1はミドルペダルを踏むことになります。ここで躊躇なくブレーキを踏むことができれば十分なスピートを出すことはできるでしょう。 もう一つの課題である縁石についても十分気を付けましょう。セットアップが適切になっていれば走りながら神経質になることはりません。 アグレッシブでテクニックに自身のあるドライバーやブレーキを最大限活用できるドライバーに有利なサーキットで、まるでジェットコースターのようなコースとも言えます。

象徴的なコーナー

ターン2と3では勇気と高度の正確さを試されます。セットアップと、使用している車によってはフラットにすることもできます(グリップが大きいエアロカーの場合)が、ターン2を通るラインに正確に合わせる必要があります。ターン2を通るラインは1本だけで、非常に細いので、正確で勇敢である必要があります。それを台無しにするとターン3に挑むのは無理でしょう。そこさえクリアすれば、ターン3と4への準備は万全ですがもし間違えたら、駐車したほうがいいかも知れません。

アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ

アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ

場所
イタリア、イモラ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

イモラのラップは、このユニークで美しく、危険で極めて難しいコースを支配している伝説の亡霊との戦いです。ローマの栄光の日々からここでレースが行われており、近くにあった円形闘技場は、帝国の最も偉大な戦車の英雄たちが日曜の午後に勝つか死ぬかの戦いにやってきた場所でした。この現代的なコースは1950年代初頭にオープンし、1970年にエンツォの息子で若くして亡くなったディーノ・フェラーリにちなんで名付けられました。1988年には亡くなったエンツォ自身の名前が追加されました。多くの真のロードレースファンにとって、ここはヨーロッパで最も純粋なレーシングサーキットであり、腕と勇気と運を等しく要求する驚くほどテクニカルな場所なので、イタリアで最も著名な自動車を愛するファミリーを称えるのに相応しいと言えるでしょう。1994年の悲劇によりこのコースは安全のために改修され、2008年に再び改修されましたが、どちらもこの場所の根底にある本質を変えることは一切していません。ここでのレースは、心の底から常にスリルを感じられ、タイトで、危険で、窮屈な走りになります。そしてその秘密を簡単には明かしてくれません。

象徴的なコーナー

リバッツァ。合わせてリバッツァとして知られる第14および第15コーナーは、モータースポーツで最も難しいコーナーのうちの2つです。ブレーキゾーンは超高速の右カーブの後の下り坂で、シフトダウンしてブレーキをかけ始めながらコースを横切る必要があるということになります。エイペックスで狭まっているコーナーの入口を見つける準備をするここではリアが常に軽くなります。間違うとほぼ確実にスピンし、ブレーキ不足でバックエンドを失うか、あらゆるものがロックされるか、エイペックスを逃して出口で離脱するかです。イモラと同じく、このコーナーは新参者には秘密を教えてくれません。

アウトドローモ・ナツィオナーレ・モンツァ

アウトドローモ・ナツィオナーレ・モンツァ

場所
イタリア、モンツァ
タイプ
ロードサーキット
トラック
5

「スピードの大聖堂」と呼ばれ、100年にわたりヨーロッパのモータースポーツの中心地となっており、レースの勝利と悲劇のシーン、記憶に残るドラマ、伝説的なスリップストリームバトル、レース史上最高の接戦などの舞台となってきました。ミランのすぐ外側の公園に建設されたこのサーキットには、世界にある他のほぼ全ての競技場では類を見ないオーラと物語があります。誰もがここでレースをし、最初期の英雄も現代のチャンピオンもみんなモンツァの試練と危険に挑んできました。モンツァの試練はコース全体とその名高いバンクのオーバルがもたらすスリルで始まり、あまりにも徹底的に人とマシンを試すため、人々は1961年に制することをあきらめました。そのコースは今ではレースをする態勢が整っていて、1990年代半ばに安全に留意して改修された現代的なコースとなっています。どんな時でもモンツァはモンツァなので、2つのコーナーがタイトになった以外は大きく変わっていません—壮大なほど速く、雄々しいほど危険で、果てしなく予測不能です。

象徴的なコーナー

アスカリシケインはチャンピオンのアルベルト・アスカリにちなんで名付けられた、このコースで最も難しい連続コーナーです。レズモ2を高速で駆け抜けた後にアプローチが現れるため、ブレーキをある程度遅く正確にかける必要があるということになります。木々の影の下を通って気難しいターンインに突入する際、足を引っ張るのは見つけにくいブレーキゾーンです。ここでもトップギアに入りますので、難しいエイペックスのある最初の左カーブのターンインでミスすると、パラボリカまでずっと悲惨な走りになってしまいます。しかし出口で気を緩めると、パラボリカを見ることもできないでしょう。

トスカーナ

トスカーナ

場所
イタリア、トスカーナ
タイプ
ロード/ストリートサーキット
トラック
2

トスカーナはムジェロ、太陽の光、ブドウ園、プールサイドでの怠惰な夏の日々の故郷です。コリーナタウンという、素晴らしい下り坂の市街地サーキットのある場所でもあります。コリーナとはイタリア語で丘を意味するので、どんなところかはお分かりでしょう。美しい景色、城、ブドウ園、中世の教会を縫って走る高速の下り坂で、本格的にブレーキングスキルが試されます。リズムとブレーキングスキルが大きな恩恵をもたらすコースですが――失敗すると、深刻な結果を引き起こします。コースは長く、曲がりくねっていて速い。景色に見とれている暇はあまりないでしょう。丘はきれいで、遅らせたブレーキの最後の音にも敏感なだけに残念です…。

象徴的なコーナー

第7コーナーはまさに注目すべきコーナーです。鋭い左カーブで、長い下り坂の後に入ります。バンクになっており、頂上は有利に働き、ターン・インの助けにもなります。しかし途中で平坦になって広がり、大きくパワースライドして出なければ、しっかりこらえることができません。次のコーナーは難しい右カーブなので、ブレーキを踏む前に全て準備を整えておかないと、後方にそれて、景色の中に飛び込んでしまうでしょう。しかしきれいな景色ですから、ドライブを楽しみましょう!

フィオラノサーキット

フィオラノサーキット

場所
イタリア、フィオラーノ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

1960年代後半、エンツォ・フェラーリはテストコースを開設すると決めてこう言いました。「…あらゆる問題を特定するためにこのコースで全ての車の挙動をテストする。この時から、フィオラノで行うテストに合格せずにフェラーリがレースに出場したり、大量生産に取り組むことはなくなる」このコースはフェラーリの主力工場のすぐ外側にあり、1972年にフェラーリの仕様に合わせて開設されました。スペースの問題から独特な8字型となっており、スクーデリア・フェラーリがコースや道路で直面すると考えられるあらゆるタイプのコーナーを備えています。ピット施設の近くには今でもエンツォ・フェラーリの家があり、恐ろしいほどの正確さがなければ走破できない、この狭くて曲がりくねったコースでドライバーたちが練習する様を彼が見ていたのではないかという話が語り継がれています。

象徴的なコーナー

第1コーナーこそがまさにフィオラノの象徴です。このコーナーには車のバランスを崩すためのあらゆる障害が備わっているため、ドライバーはブレーキを深く踏み込んで急停止することになります。ここで後方にそれてリアを失い動けなくなるのは、車をピットで温めている間に夜明けの霧の中でエスプレッソを飲むのと同じくらい普通のことです。エンツォが見ていなくて良かったですね。

アウトードロモ・インテルナツィオナーレ・デル・ムジェッロ

アウトードロモ・インテルナツィオナーレ・デル・ムジェッロ

場所
イタリア、スカルペリーア・エ・サン・ピエーロ
タイプ
ロードサーキット
トラック
2

閑静なトスカーナの田園地帯の中にあるムジェッロは、様々な長さやエイペックスの14のコーナーを持ち、多様な角度から攻めることが必要になるイタリアでも屈指の素晴らしいサーキットです。1920年代にはすでに市街地コースがありましたが、この常設コースは1970年代になってから造られたものです。このコースの開設当初は、関係者に驚きを持って受け止められました。一連のコーナーから1kmにおよぶ長い直線が続いており、あらゆるドライバーと車が試されることになるのです。このコースの所有者であるフェラーリが毎日のようにここで車のテストを行っているのも当然のことでしょう。最近ではイタリアのオートバイレースの中心地として知られていますが、GT選手権やシングルシーター、ツーリングカーなど、自動車シリーズのラインアップも豊富です。このコースがここまで特別なものとされるのは、高速コーナーの存在のおかげです。マーク・ウェバーは2012年のツイートでこのように述べています。「今日はドライコンディションのムジェッロを10周したけど、満足感という点ではアブダビのコースを1000周するのと同じくらいだね #realtracks #fast」

象徴的なコーナー

第8および第9コーナー(アラビアータ1および2―文字通り「怒りの1&2」として知られる)では腕前と勇気が大きく問われます。半径が鋭くなる最初の右カーブから2番目のエイペックスへと展開し、パワーを上げ続ける中で急激に高度が変化するため、このエリアを走行中は車のバランスを崩さないように注意する必要があります。アクセルを踏み込むのに慎重になりすぎるとラップタイムが大きく落ち込みます。しかし欲張りすぎると、もっと致命的なタイムロスを引き起こすことになるでしょう。

アウトードロモ・インテルナシオナル・ド・アルガルヴェ

アウトードロモ・インテルナシオナル・ド・アルガルヴェ

場所
ポルトガル、ポルティマオ
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

アウトードロモ・インテルナシオナル・ド・アルガルヴェはポルトガルの超現代的なレース施設で、ヨーロッパ有数の素晴らしいレースコースです。2008年にオープンし、低速と高速が混ざり合ったコーナーと絶え間ない高度変化で瞬く間に強烈な印象を与えました。このコースはミニバージョンのニュルブルクリンクとスパになぞらえるのが正確で、特に最初のコーナーの困難な下り坂と第4コーナーの分かりにくい上りが特徴的です。広くてきついブレーキングゾーンは、ここで追い越しができるという意味でもあります。リズムに乗ればジェットコースターに乗っているような感覚を味わえるでしょう。

象徴的なコーナー

第4コーナーはタイムを大幅に稼ぐことも失うこともある重要なコーナーで、第3コーナーのヘアピンの出口から全ては始まっています。ここでは犠牲が重要になります。右コーナーのヘアピンの出口を厳しく狭め、第4コーナーの上り坂と見えにくいエイペックスの速い入口の準備を整えるのが最も速い回避策です。ここで完璧にライン取りをすれば、第3コーナーと第4コーナーから下りの直線まで、騒々しいスロットルを捨てる瞬間から車体が浮くことはなくなります。どこかで車体が浮いてしまえばラップタイムは絶望的なものとなるでしょう。

ゾルダー・サーキット

ゾルダー・サーキット

場所
ベルギー、ヒュースデン=ゾルダー
タイプ
ロードサーキット
トラック
1

ゾルダー郊外に最初のコースが建設されてから10年後、コースの成功によって得た資金を惜しみなく投入し、レイアウトを拡張して地元のモータークラブが望んでいるものにする計画が成立し、世界クラスの施設となりました。計画を成功させるため、ドイツの著名なコース設計者ジョン・フーゲンホルツ(ザントフォールトと鈴鹿の、世界有数の素晴らしいコースを2つ手掛けた人物)が招かれて監督にあたりました。1960年代半ばまでに、新しいゾルダーは国内レースと国際レースの両方を開催し、1970年代に兄貴分のスパが閉鎖されると、ベルギーのモータースポーツの中心地としての地位を引き継ぎました。スパが復活し、ゾルダーサーキットが新世代の車には問題も危険も多すぎることが分かってくると、徐々に衰退の時代に入りましたが、1990年代半ばの巨額投資によってFIA基準を取り戻しました。最近ではGTレース、サルーンカーレース、そして有名な24時間レースの中心地となっていますが、狭くて曲がりくねって平坦で最高にテクニカルな、相変わらず手なずけるのが難しいコースです。このコースではドライバーがリズムをつかみ、活き活きすることができます。

象徴的なコーナー

第1コーナーがこのコースのテクニカルな性質を特徴づけています。入り口は広くて分かりづらく、いくつかのコース取りが可能なように思えます。しかし、取るべきコースは1つしかありません。早く入りすぎると出口で行き場がなくなり、遅く入りすぎるとエイペックス速度とラップタイムが落ちるでしょう。ピットを通過する際に右側のターン・インマーカーを見つけ、それと同じ状態を保ちましょう。

ルアプナ・レースウェイ

ルアプナ・レースウェイ

場所
ニュージーランド、クライストチャーチ
タイプ
ロードサーキット
トラック
5

ニュージーランドで最も古いレースコースの一つで、ユニークな5つのレイアウトで最も用途の広いルアプナ・レースウェイは、高速で難度が高く、必ずと言って良いほど天候に左右されます。戦後まもなくからここでレースが行われてきましたが、実際のコースは1960年代初頭にようやく建設されました。しかし、その初期のレイアウトが1993年まで長年にわたって改善、拡張され、レイアウトが広がって作業が完了すると、ここは全国レベルのサーキットになりました。純粋なクラブサーキットで、タイトかつタフなままであり、勝ち取ったトラックポジションで徹底的にベストを尽くす必要がある場所です。

象徴的なコーナー

第3コーナーは難しいヘアピンで、ブレーキング能力だけでなくテクニック全体が試されます。早めにパワーを落とすことが重要ですが、入り口で流されてアンダーステアになる場合が多いです。あまりミスを修正している時間はありませんので、このコーナーに全力を注ぐ間にラップを落とさないことです。気を引き締めてきっちりやれば、ラップタイムが我慢に報いてくれるでしょう。

バーレーン・インタナショナル・サーキット

バーレーン・インタナショナル・サーキット

場所
バーレーン
タイプ
サーキット
トラック
4

ヘルマン・ティルケが設計したサーキットで、Project CARS 3ではグランプリ、インナ、アウター、パドックの4つのトラック構成で登場します。
砂漠に建てられたサーキットならではの特徴を持つこのサーキットには、ドライバーのみならず車に過酷なレースを強いる15のコーナーを持つグランプリーコースのほかいくつかのコースがあります。
2004年のF1デビュー以来、ワールドワイドクラス級の様々なレース開催地として愛されています。

象徴的なコーナー

伝説級の難しさで知られる第9コーナーと10コーナーではブレーキを掛けながら同時にシフトダウンで向きを変える必要があります。グリップが急激に変化するため、フロントタイヤにロックが掛かることが多いため注意しながらレースに臨みましょう。

ザントフォールト・サーキット

ザントフォールト・サーキット

場所
オランダ
タイプ
ロードサーキット
トラック
3

今年で74回目を迎えるザントフォールト・サーキットは、これまでに数々のドラマを演出してきた最もチャレンジングなサーキットのひとつです。
ザントフォールトでのレースは、戦前の1939年夏に、オランダで初めての国際レースが海辺の町ザントフォールトで開催されたことに始まります。その後すぐに戦争が勃発したものの、当時の市長はレースの成功をきっかけとし、町のすぐ北側にある砂丘に恒久的なサーキット建設を決定しました。
戦後、砂丘とその周辺にすでに存在していた道路を改修して建設に着手したこのサーキットには、1927年のル・マン24時間レースの優勝者である英国出身のサミー・デイビスも関わり、後に鈴鹿、ゾルダー、ジャラマなどの世界的なサーキット設計者となるジョン・ヒューゲンホルツが建設の監督を務めました。1948年8月7日に開門したこのコースは、瞬く間に名コースとなり、何十年にもわたってF1開催地の常連となりました。ドライバーやファンに愛されてきたF1だが、経済的な問題が生じたため、不本意ながら80年代半ばからF1カレンダーからは撤退。しかし、ザントフォールトの本来の役割が今でも変わることはなく、ADAC GTマスターズ、FIA GT3ヨーロピアンチャンピオンシップ、FIAヨーロピアンF3チャンピオンシップ、ツーリングカー、ワールドクラスのヒストリカル・ウィークエンドなど、ヨーロッパのレースシリーズが開催されています。

象徴的なコーナー

「ターザンコーナー」と呼ばれるザントフォールトのターン1は、常に勇敢な者とただのクレイジーな者を分けてきました。タイトなターンの中にキャンバーがあるため、遅めのブレーキングでアウトブレーキをかけることができ、最後のブレーカーが報われます。キャンバーのおかげで、ドライバーはアウト側で早い段階からパワーを発揮することができ、勇気を持ってターザンを通過すれば、ターン2を通過する際に最高のラインを得ることができます。内側からでも外側からでも、ブレーキの使い方を知っているドライバーが通過してくるので、ミラーから目を離さないようにしましょう。
では、この名前の由来は何でしょうか?誰もが "ターザン "と呼んでいた、かなり大柄なこの土地の元々の所有者に由来するという説があります。真偽のほどはともかく、70年もの間、ヒーローを生み出し続けてきたコーナーであることは間違いないでしょう。