CARS
アウディ
アウディの歴史には、2つの時代が存在します。まずは戦前のアウグスト・ホルヒ(アウグストは「聞く」を意味するドイツ語で、ラテン語で「audi」と言います)による創設の時代、そして1960年代にブランドが生まれ変わりを果たした時代です。しかし、いつの時代も、このカーメーカーの遺伝子には――戦前のポルシェ設計のアウトウニオンレーシングカーから、現在の耐久レース用車、ラリーカー、フォーミュラカーまで――常にモータースポーツが存在していました。この伝説的なドイツの自動車メーカーが世界最高峰の大会を幾度も制している事実が、そのことを物語っています。
アガジャニアン
J.C.アガジャニアンは、プロモーターとしてもレースチームのオーナーとしても、アメリカ合衆国のモータースポーツ界で広く知られた存在です。その最大の功績として、インディ500で1948~1971年の間にポールポジションを3度獲得したこと、そして1952年と1963年に同大会を制覇したことが挙げられます。アガジャニアンを有名にしたものは色々ありますが、中でも、迅速なタイヤ交換を可能にしたエアジャッキの開発、そして「オールド・カールホーン」の呼び名で知られるロードスターは特筆すべきでしょう。
アキュラ
986年本田技研工業が開業したアキュラは、(アメリカに進出した)日本初の高級車ブランドであり、1990年にアキュラNSXを発売したことで、瞬く間にその名声を高めました。アキュラNSXは、ホンダのVTEC技術とスーパーカーに匹敵する性能をリーズナブルな価格で世に送り出した伝説のミッドエンジンスポーツカーとなります。 アキュラNSXは、エンジンの回転数を上げることに幸せを感じる顧客の心を鷲掴みにし、それ以来、チューナーたちの厚い支持を受けてきました。
アストンマーティン
アストンマーティンは、「1913年の創業以来、美しさを体現し、運転すると爽快になるようなハンドメイドの車を生み出してきたイギリスの象徴的なスポーツカーブランド」です。何が言いたいかというと...。アストンマーティンは、創業から百年を過ぎたいまでも、時代を超越したハンドメイドのラグジュアリーカーを作り続けています。1959年にル・マンで初優勝を果たしたアストンマーティンは、レースで勝利を収めた血統と、易しさを兼ね備えたレースカーを作り続けています。
アルピーヌ
ジャン・レデレによって設立されたアルピーヌは、フランスの小さなメーカーでありながら、73年にアルピーヌA110で世界ラリー選手権を制覇したことで一躍有名になりました。 1995年に生産を終了するまで、アルピーヌはフレンチスポーツカーの代名詞となりました。そして2017年、アルピーヌは、伝説の車を現代風にアレンジした新型スポーツカー「アルピーヌA110」を発表し、世界中のモータースポーツファンを歓喜させました。
インディカー
OMSE
ラリークロスの中で最も神話的なブランド、オルスバーグMSEは、元スウェーデンラリーチャンピオンのアンドレアス・エリクソンによって設立され、ラリークロスの歴史のあらゆるグリッドに並んできました。ブランドの真髄はパフォーマンス、経験、そして情熱です。
オペル
オペル・オートモービルとそのブランドであるボクスホール、そしてホールデン、ビュイック、サターン、キャデラックなどの名だたるリバッジモデルは、アダム・オペルが当初ミシンメーカーとして1862年に設立した同社が、自動車メーカーとしてどれほどの発展を遂げてきたかを物語っています。初めて自動車を製造したのは1899年。その1世紀後、オペルはラリーの強豪チームとなりました。1980年代初頭にはチャンピオンシップとサファリラリーの両方を制し、その後はドイツ国内外でツーリングカーにも注力、大きな成功を収めています。
キャデラック
ヘンリー・フォードが興した会社を引き継ぐ形で1902年に設立されたキャデラックは、デトロイトを開拓したフランス人の名前が由来となっており、その人物の紋章がキャデラックの紋章として採用されています。アメリカで2番目に古いカーブランドであり、世界が愛する「アメリカらしさ」の代名詞となったV8エンジンを初めて大量生産したメーカーでもあります。キャデラックの最初のキャッチフレーズは、「世界基準」でした。110年経った今も、そこに大きな変化はありません。
クラシック・チーム・ロータス
クラシック・チーム・ロータスは、コーリン・チャップマンと常勝のチーム、ロータスが1954年から1990年にかけて生み出したロータスの設計を存続させ、世に広めるという使命を持っています。ブランドの精神は今も健在というわけです。
ケータハム
1953年のロータス・セブン®は、ロータス・カーズの創業者であるコーリン・チャップマンの「軽量設計と非の打ちどころのないハンドリングを実現する」という信念のもとに作られました。1973年にロータス・カーズがこの有名なセブン®の生産中止を決断すると、ロータスのディーラーだったケータハムが生産権を買い取り、世界中のファンを喜ばせました。その評判を考えれば、顧客開拓は難しい問題ではなく、ケータハムは60年経った今でも、真のスポーツカーの喜びを体験したいレーサーがまずコンタクトするメーカーとなっています。
KTM
現在ではオフロードレースバイクやスーパースポーツカーのX-Bowで有名なオーストリアの企業ですが、その歴史は1934年まで遡ります。エンジン修理専門の工場を拠点に、ヨハン・トランポルツがDKW製バイクの販売を始めたのがその歴史の始まりです。終戦後、トランケンポルツはその技術を生かしてオリジナルのバイクの製造を開始します。1951年のR100がその第一号でした。1953年には20人の技術者が1日に3台のバイクを製造する規模になり、2008年にはKTMはヨーロッパ最大のオートバイメーカーであり、リアエンジンのスーパースポーツカーX-Bowシリーズの製造でも知られる大企業になりました。レースに特化されたマシンです。
ケーニグセグ
パフォーマンスのみに焦点を当てることこそ、ケーニグセグの哲学です。当時22歳だったスウェーデン人、クリスティアン・フォン・ケーニグセグによって1994年に設立。世界最速のスーパーカーを作るという夢に支えられ、その頂上に登る速度は自社製の車と同様に速いものでした。2005年、ケーニグセグCCRは世界最速の生産車となりました。その成功により、ケーニグセグはスウェーデンのエンゲルホルムに拠点を移し、かつてスウェーデン空軍の第1飛行隊の基地であった建物でス―パーカーを製造しています。すべてのケーニグセグ車のエンジン室には、飛行隊の記章である空飛ぶゴーストが描かれており、文字通り、同社のパフォーマンス第一の精神が表現されています。
ジネッタ
ウォークレット兄弟によって1958年に創設されたジネッタは、英リーズ近郊の工場でこだわりのレーシングカーおよびロードカーを手作りするメーカーとして高い評価を受け続けています。2005年にローレンス・トムリンソンによって買収されたジネッタは、現在、世界を席巻するレーシングカーを輩出するイギリストップレベルのメーカーに成長しました。また、モータースポーツの有望株がその野心を始動させる場所にもなっています。ジネッタの精密な車に乗るドライバーは、成功が約束されたようなものです。
シボレー
スイス出身の元レーシングドライバー、ルイ・シボレーによって1911年にデトロイトで創設されたシボレーは、アメリカの自動車デザインおよび性能の象徴的存在になるまでに成長を遂げました。車好きにとって、シボレーの4大ヒット作といえば、シボレー・コルベット(1953)、世界初の燃料噴射型大量生産エンジンを搭載した1957モデルのコルベット、シボレー・カマロ(1966)、そして、歴史上でも最も長きに渡って生産されているエンジンを搭載したスモールブロックV8(1955)でしょう。これに異論の余地はないはずです。
ジャガー
ジャガーの想いと情熱は、自社製のすべての車が持つ美しさとスピードに反映されています。創業100周年を2年後に控えたジャガーは、バイクのサイドカーを製造する「スワローサイドカーカンパニー」として1922年に設立されました。ジャガーの1世紀にも渡る成功は、レーストラックでの経験を洗練し続けて生まれた、スポーツカーの伝統を先取りした2シーターのスポーツカー、SSジャガーから始まりました。ジャガーEタイプからジャガーXK150、そして今日に至るまで、パフォーマンス、美しさ、そしてレーシング能力は、すべてのジャガーの核となる要素であり続けています。さぁ、そのパフォーマンスを手にする時です。
ダッジ
ダッジは、1911年に初めての自社製車を誕生させて以来、車好きの間で独自の地位を築いてきたメーカーです。ダッジは、スポーツカーやマッスルカーの代名詞であり続け、ダッジV8ほどアメリカイズムの魂を揺さぶるものはありません。ダッジ製の忠実なV8エンジンはまさに、アメリカンドリームを体現したものなのです。
トヨタ自動車
トヨタが自動車の生産を開始したのは1933年。プロジェクトを主導したのは創業者である豊田喜一郎の息子で、その後1936年に新しいロゴマークを公募しました。その結果誕生した新しい日本の自動車メーカーこそが、トヨタです。トヨタのDNAには常にモータースポーツがあります。日本では国内のモータースポーツ発展に積極的に取り組み、平手晃平、小林可夢偉、中嶋一貴ら世界的ドライバーを輩出した『ヤング・ドライバーズ・プログラム』活動を続けています。また、TOYOTA GAZOO Racingブランド傘下のグローバルモータースポーツ部門は、ドイツ・ケルンに本社を置き、F1、耐久レース、GT、オフロードなどの国際レースプログラムを統括し、成功を収めています。
ニオ
中国の電気自動車メーカー。2015年に初代フォーミュラEドライバーズ選手権で優勝してその存在感を示したニオは、EPブランド発表時に発表されたニオ EP9(the ニオ EP9、2019 ニオ EP9)を通じて世に強烈な印象を残しました。
日産
日本初の自動車メーカーのルーツを知るには、1911年まで遡らなければなりません。そして1914年に、出資者の田健治郎、青山禄郎、竹内明太郎のイニシャルを冠した最初の自動車「DAT」を製造しました。当初はトラックの製造で世に知られるようになったこの会社が乗用自動車の生産を開始したのは、1931年に横浜に移転し社名を日産自動車に変更してからのことでした。ですが、日産ブランドの真骨頂は1966年にプリンス自動車と合併してから始まったと言えるでしょう。以来、日産はフェアレディ、スカイライン、ダットサン240Z、そして無敵のGT-R、さらには日産の神話的なモータースポーツ部門であるNISMO等々、カーマニアが熱い視線を注ぐ象徴的なブランドを産み出し続けてきました。
パガーニ・アウトモビリ・モデナ
オラチオ・パガーニは生まれ育ったアルゼンチンで、ルノーF2の再設計からキャリアをスタートさせましたが、彼の夢は国内で完結するには大きすぎるものでした。再設計プロジェクトを成功させたことでチャンスを掴み、情熱と技術を武器に1980年代の自動車デザインの世界の中心だったイタリアに飛び出した彼は、1982年に3級整備士としてランボルギーニに就職します。溢れる熱意に突き動かされた絶え間ない努力が実を結び、わずか数年で新設された複合材料部門の責任者に任命されました。ランボルギーニ社がオートクレーブ購入の予算を却下したため、パガーニは自分でオートクレーブを購入し、F1チームや他の自動車メーカー向けに、高度なカーボンファイバー複合材の製造を独自に開始しました。1992年、パガーニは事業をさらに発展させることを決意し、モデナデザインを設立。最初の自動車の開発に着手します。こうして7年後に発表された初代ゾンダは、世界を驚かせることになりました。その後の成功は誰もが知る通りです。それはパガーニ自身の言葉によれば、「自動車という芸術の、時代を超越した1つの形」を作り続けた歴史でした。
パノス・オート・ディベロップメント
激しい主張、けばけばしい派手さ、成功。完全アメリカ製のスポーツカーが象徴するのは、アメリカンドリームそのものです。伝説のエンジニア、フランク・コスティン(コスワースのコス)が設計したシャーシの所有権を持つトンプソン・モーター・カンパニーというアイルランドの自動車メーカーが破産し、それを再建する形でダニエル・"ダン"・パノスが1989年に設立した会社がパノス・オート・ディベロップメントです。同社はそのわずか2年後にパノス・ロードスターを発表しています。1997年、ダンの父親であるドンは、この世で最も信頼できる方法でパノスのブランドを世界に広めようと決意しました。その方法とはもちろん、モータースポーツです。今では伝説的存在となっているエスペランテGTR-1から始まり、アメリカン・ル・マン・シリーズの創設、セブリングとル・マンでのクラス優勝を経て現在に至るまで、パノスは、モータースポーツのために設計され、モータースポーツでその実力を証明されたアメリカン・スポーツカーを作り続け、ファンとドライバーを魅了しています。
BMW
フォーミュラEのストリートレースであろうと、ドイツの公式ツーリングカーレースであろうと、そこには2つのものがほぼ確実に存在します。アドレナリン、そしてBMWの車です。BMWはほとんどのシリーズに参戦しており、世界中の大陸のあらゆる道の上を走り、全てを勝ち取ってきました。ヒルクライミングから、F1、ツーリングカー、フォーミュラE、ル・マン、ニュルブルクリンクまで、BMWはそのモータースポーツへの情熱と最高峰のエンジニアリング技術によって、あらゆる場所で50年間以上に渡り勝利の方程式を築き上げてきたのです。
フェラーリ
フェラーリは、トップレベルのモータースポーツにおいてほぼすべてのクラスで記録を持つ、レースの中心的存在です。1939年にエンツォ・フェラーリによって設立されたフェラーリは、1947年に初のロードカーを製造し、伝説的な存在にとどまらず、世界で最もパワフルなブランドのひとつに成長しました。フェラーリの野望は、常にレース界で最も偉大なメーカーであることにあり、1964年のフェラーリ250 GTOは、その理念を生きた形で体現しており、世界でもっと高い車です。躍動する馬と一緒に、あなたのレースへの情熱を存分に発揮してください。
フォード
フォード・モーター・カンパニーは、1903年に導入した大量生産技術によって、自動車産業を発明した存在と言っても過言ではありません。しかし、車好きにとってより重要なのは、彼らが1932年に低価格のV8を初めて開発した企業であるということでしょう。F1からインディカーまで、フォードが制していないモータースポーツシリーズは存在しません。あるゆる場所、あらゆる大会でライバルたちに涙を飲ませてきました。「Built Ford Proud」は、ただのスローガンではなく、必勝の組織を証明するものなのです。
Formula E
2011年のある夜、フレデリック・ヴァスール、アレハンドロ・アガグ、FIA会長ジャン・トッドの3人が夕食を共にしました。そして、食事中にナプキンに走り書きされたメモが、後に初の完全電気駆動シングルシーターレースシリーズとなる、新たなレースのコンセプトとなったのです。2014年には、そのアイデアが北京で開催されたフォーミュラE選手権レースのグリッドに登場しました。フレデリック・ヴァスールによって設立されたスパーク・レーシング・テクノロジーは、高性能なeモビリティカーの開発とエンジニアリングを専門とし、すべてのフォーミュラEシングルシーターレースカーの公式デザイナーとコンストラクターを務めています。あなたもそのパワートレインを手に入れて、レースに参戦しましょう。
フォルクスワーゲン
ヴォルフスブルクに本社を置くフォルクスワーゲン・グループは、世界有数の自動車メーカーであり、ヨーロッパ最大の自動車メーカーでもあります。1937年に自動車を大衆に普及させるために設立され、1960年代のドイツ経済のルネッサンスを象徴する企業となりました。フォルクスワーゲンが「フォーミュラVee」レース(ビートルから多くの部品を流用して作られた1人乗りのレーシングカー)を世に広め、ニキ・ラウダやネルソン・ピケなど多くのワールドチャンピオンを輩出したのもこの頃です。モータースポーツにおけるフォルクスワーゲンは、ダカールラリー、WRC、ラリークロスはもちろん、フォルクスワーゲンID.Rが史上最速のEVカーであることを証明したパイクスピークでも、「オフロード」で最も素晴らしい成功を収めてきました。
ブガッティ
1世紀前、エットーレ・ブガッティは、非の打ち所のない美しさ、優雅さ、スピードを兼ね備えた車を作る人物として一躍有名になりました。1920年代と30年代の青色のブガッティは、グランプリ制覇というただ1つの目的のために、その技術的ノウハウや職人技を結集して作られました。ブガッティのアイデアはモータースポーツ界に幾度となく影響を与えており、1998年にこの偉大なブランドが生まれ変わった際は、往年の形が正確に再現され、並外れた伝統が引き継がれました。
BAC
ブリッグス・オートモーティブ・カンパニー(BAC)は、リヴァプールを拠点とするイギリスのスーパーカーメーカーです。デザインの純粋性、革新的なエンジニアリング、非常に高い性能、妥協しないことへの情熱と覚悟によって、歴史の中でも重要なスーパーカーを複数誕生させています。
ヘネシー
ベントレー
ベントレーは1世紀以上に渡りモータースポーツ界でトップレベルを維持しています。1919年の設立当初から、レーシングはこのカーメーカーの核となっており、1924年に「ベントレー・ボーイズ」がル・マンを制して以来、レースで勝利することは会社の活力源となってきました。ベントレーとレーシングは一心同体であり、ル・マンの街には「リュ・デ・ベントレー・ボーイズ(ベントレー・ボーイズ通り)」という名の通りがあるほどです。最高のパフォーマンスを期待しましょう。
ポルシェ
70年間で30,000回の勝利。この数字がすべてを物語っています。「当初はどこを探しても、私が夢見ていたような車を見つけることはできませんでした。だから自分で作ることにしたのです。」後に世界最大のレースカーのメーカーとなる自動車会社を設立した理由を、フェルディナンド・ポルシェはそう語りました。ポルシェにとって、カーレースはそのDNAの核であり続けてきました。ル・マンからヒルクライムまで、ラリーからGTまで、またその間のあらゆるシリーズで、グリッドにポルシェのマシンがあれば、おそらくそれは優勝候補です。ポルシェが同じマシンをアップグレードせずに2レース以上出場することはほぼありません。それほどのこだわりを持つポルシェは、常に特別なドライビング体験を与えてくれるはずです。
ホンダ
ホンダのレガシーは、1949年の「ドリーム」D型のモーターサイクルから始まりました。創業者の本田宗一郎は常にレースを愛する男であり、その駆け出しの会社が世界中でレースの夢を追いかけ始めるのには、長い時間はかかりませんでした。F2、F1、インディカーにおいて、ホンダは1980年代のレーシング界の成功の代名詞となり、F1チャンピオンシップを6連覇し、さらにアメリカに向かった後も、再び6回連続でチャンピオンシップを制しました。本田宗一郎の有名な格言「理念なき行動は凶器であり、 行動なき理念は無価値である」は、今も会社の世界的な成功のための指針であり続けています。あなたのレーシングドリームもここから始まるのです。
マツダ
三菱自動車工業
三菱自動車工業の歴史は、1917年に製造された日本初の量産車であるA型から始まりました。この完全手工業製の自動車は、総販売台数22台という期待外れの結果に終わり、次のモデルの発売までには20年近い長い年月がかかりました。しかし、このPX33が初代を遥かに超えるヒットとなります。このモデルで採用された4輪駆動システムは、戦後に登場するアイデアの先駆けとも言えるものでした。サーキットレースからモータースポーツの世界に参入した三菱自動車でしたが、1990年代までにはラリーに目を向け、同社の伝説的モータースポーツ部門であるラリーアートが開発するマシンは、世界ラリー選手権のトップに君臨するようになります。ロードカー部門はその血統を受け継ぎ、ストリートレースの主役となれる魅力とスピードを誇る夢の名車を世に送り出してきました。
メルセデス-AMG
ダイムラー・ベンツが1960年代にモータースポーツ部門を閉鎖したとき、300 SEのレーシングエンジンを手がけていたハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエルハルト・メルヒャーは路頭に迷うことになりました。モータースポーツに取りつかれた2人はすぐに、アウフレヒトのガレージでチューニングショップを始めます。2人のイニシャルとガレージがあった街のグロッサスパッハからAMGと名付けられたこのショップは、瞬く間にメルセデス・ベンツのアフターマーケット・チューナーとしてドイツで随一の名声を集めるようになります。個人向けのロードカーから始まり、後にフルボアレーシングエンジンを製造するようになると、1971年には同社の怪物エンジンを搭載した高級セダンAMGメルセデス300 SEL 6.8がスパ・フランコルシャン24時間レースで総合2位の素晴らしい記録を残しました。1980年代後半になると、AMGは前職のダイムラー・ベンツにレースの公式パートナーとして迎えられ、2005年にはダイムラー・クライスラーに買収されました。アウトレヒトのガレージで始まったチューニングショップは、現在では1,700名のスペシャリストを抱え、公道とサーキットの両方でメルセデス・ベンツの最高峰を背負って立つ企業となっています。
メルセデス・ベンツ
1886年にカール・ベンツが初めて自動車の特許を取得したことから、自動車を発明したのはメルセデス・ベンツ社とされていますが、同社はモータースポーツの始祖でもあります。1894年と1895年に開催された世界初のカーレースでは、ゴットリープ・ダイムラーが設計したエンジンを搭載したマシンが優勝しています。そもそも、メルセデスというブランドはモータースポーツから誕生しました。メルセデスの名を冠した最初の35馬力の車両は、1901年ニース・レースウィークでの勝利を目標に設計されたものです。レースでの素晴らしい成績により、このモデルの売り上げは急増。世界初の近代自動車の成功により、メルセデスは世界初の高級車ブランドとなりました。その後も、メルセデス・ベンツの歴史は数々のイノベーションとモータースポーツ界での成功に彩られ、ブランドとその歴史を唯一無二のものにしています。
ラディカル
1997年創立のラディカル・スポーツカーズは、レーシングカーとトラックカーを製造する世界最大級のメーカーに成長しました。その成功の鍵となっているのは、速くて、簡単にマスターできて、参戦するすべてのシリーズで競争力を発揮する痛快なマシンを作るという哲学です。それらはまさに、レースに特化した武器のような車たちです。
ランボルギーニ
1960年代初頭、ある顧客がエンツォ・フェラーリに、自分の車を改良する必要があると告げたが、その顧客に対するフェラーリの返事は冷淡なものでした。のちに、その顧客である大富豪フェルッチオ・ランボルギーニはサンタアガタ・ボロニェーゼに土地を購入し、フェラーリがその地位を確固たるものにしようと決意していた車の開発を始めました。1963年、ランボルギーニは最初のスーパーカーを製作し、良いスタートを切りました。その数年後のランボルギーニ ミウラP400は、その後に登場したすべてのスーパーカーを再定義し、今もなお定義し続けており、ミッドマウントエンジンを搭載し、ランボルギーニが50年間使用してきたV12を搭載したこの車は、ランボルギーニのDNAを永遠に受け継ぐゲームチェンジャーとなりました。
リジェ
モータースポーツの世界で半世紀の歴史を持ち、主要なレースで数百の賞歴を誇るリジェ社ですが、現在では主にカーボンファイバーを使用した耐久仕様レーシングカーの製造で知られ、その模範的な性能と高い信頼性には定評があります。レースでもその実力は証明済み。同社のマシンでモータースポーツ界のランキングを駆け上がる数々のドライバーの姿は、元レースドライバーでラグビー選手の偉大な創業者ガイ・リジェが1971年に最初のレーシングカーを製造した後の躍進ぶりに重なります。モータースポーツ全盛期に20年間にわたってF1に参戦したことで研ぎ澄まされた技術は、現在のリジェ社を耐久レースの完全無欠な覇者に押し上げようとしています。
リマック・アウトモビリ
クロアチアのスーパーカーメーカー、リマック・アウトモビリは、2009年、カーレースを趣味とする当時19歳のメイト・リマックが、ガレージでBMW・3シリーズを完全な電気自動車に改造しようとしたことからその歴史が始まりました。リマック・アウトモビリに集ったエンジニアのチームは、スピードへの情熱をもって、世界最速の電気自動車「コンセプト・ワン」を開発しました。この車は電気自動車の歴史を変えた1台でしたが、その後継として開発が開始されたリマック・コンセプト・ツーは、リマックが「スピードの未来」と表現した通り、それをさらに超えるハイパーカーとなりました。
ルノー
ルイ、マルセル、フェルナンのルノー兄弟は1898年にルノー社を設立し、1905年にAG1がフランス初のタクシー会社に採用されたことで最初の成功をおさめました。ほどなくして、同社の取引は、ロンドンやニューヨークにまで拡大しました。ルノー兄弟は当初からモータースポーツの価値を理解していました。独自の車を設計して過酷な都市間レースに出場し、マルセルはそんなレースの1つで命を落としています。120年後の現在も、ルノーはその血統を継ぐモータースポーツの強豪として知られています。ル・マン、F1、ラリー、フォーミュラE、GTなど、ルノーはあらゆるレースに参戦し、あらゆるレースで勝利してきました。
ロータス
ロータス・カーズは、1948年にコーリン・チャップマンとコーリン・デアの2人の技術者が設立した企業です。北ロンドンのレイルウェイ・ホテル裏にあった馬小屋を借りて始まった小さな会社は、資金不足に悩みながらも、天才チャップマンの溢れるアイデアを武器に、世界で最も名声と畏怖を集めるレースカーのコンストラクターに成長しました。この成功を支えたのは、チャップマンの「まず単純化し、さらに軽量化する」というシンプルな黄金律でした。現在はノーフォーク州へセルにある第二次世界大戦時の飛行場跡を拠点とするロータスは、F1とスポーツカーレースの世界で長きにわたり盟主として君臨した後も、ドライバーを第一に考え、速さを追求した世界最高のマシンを作り続けています。
アキュラNSX
新世代のアキュラNSXは、日本史上最高のスポーツカーと称される伝説のNSXの後継モデルとして、多くの評価を得てきました。今回は全輪駆動のハイブリッド車として復活し、ハンドリング性能もアメリカで作られてきたアキュラブランドのNSXにふさわしいものとなっています。3.5LV6ツインターボエンジンと3つの電気モーターを組み合わせたこの美しいフォルムのストリートレーサーは、0-100km/h加速3秒以内を実現しており、速くそして容易に限界点に到達できる、新しい世代のファンのために生まれ変わった伝説の一台と言えるでしょう。
アキュラNSX GT3
新世代のアキュラNSXがGT3の装いを身にまとい、世界最高峰のGT3レースに参戦。並み居る強豪を差し置いて、参加初年度からシーズン2勝を挙げるのに、それほど時間はかかりませんでした。アキュラNSXのレースバージョンは、日本で設計され、イタリアのJASモータースポーツで製造されました。その際、4WDのハイブリッド車から甘い音のするV6ツインターボエンジン搭載のMR車に変更されています。 軽量な車体に恐ろしいほどのグリップ力を備え、アキュラNSXと同等の速さのこの車は、常に勝者の最大の助力者となることでしょう。
1997 アキュラ NSX
日本最高峰のスーパーカー。3度の世界チャンピオンに輝いたアキュラが、当時の日本最速F1ドライバーとともに数ヶ月かけてチューニングしたこの完璧なバランスのアキュラは、ミッドマウント3.2Lエンジンを搭載し、世界最高レベルのハンドリングを実現しました。フルレーススペックへのアップグレードは、モータースポーツの夢といっても過言ではありません。
1997 アキュラ NSX レースコンバージョン
日本最高峰のスーパーカー。3度の世界チャンピオンに輝いたアキュラが、当時の日本最速F1ドライバーとともに数ヶ月かけてチューニングしたこの完璧なバランスのアキュラは、ミッドマウント3.2Lエンジンを搭載し、世界最高レベルのハンドリングを実現しました。フルレーススペックへのアップグレードは、モータースポーツの夢といっても過言ではありません。
ワトソンロードスター
ワトソンロードスターはオープンホイールレースの特別な時代の終わりを代表する、クラシックなフロントエンジンタイプの真骨頂といえる車です。インディ500では、5年連続(1960~1964年)でポールポジション獲得という驚異的な記録を達成しました。伝説のレーサー、パーネリー・ジョーンズは、リードしている状態から2度も抜かれた経験から、(毎試合、いいところで競り負けるサッカー選手にちなんで)この車を「オールド・カールホーン」と呼びました。そして1963年、「オールド・カールホーン」は、残り数周というタイミングでオイルが漏れ出すというトラブルに見舞われながらも、見事にレースを制しました。アガジャニアンとジョーンズのとっさの機転によって、レース後の抗議の声も沈静化されました。インディでドリフトをすることに恐怖心がある人には適さない車かもしれません。
アルピーヌA110S
アルピーヌA110Sは、究極のハンドリング性能と軽量化を実現し、ドライバーの頭の後ろに搭載されたターボエンジンによる本格的なパワーを追求した新世代のアルピーヌです。これまでにない純粋なドライバーズカーとして、サーキットを駆け抜ける喜びを感じさせてくれます。
アルピーヌA110 GT4
では、アルピーヌA110Sをさらに進化させるにはどうすればいいのでしょうか? アルピーヌのセミワークスとして、FIA世界耐久選手権のLMP2の部でル・マンを制したシグナテック社と提携し、ブレーキからサスペンション、エアロ、GT4規定で認められている最大のフルエンジンアップグレードまで、すべてをカスタマイズしたGT4仕様を開発しました。モータースポーツにおいて、アルピーヌのレースほど象徴的なものはありませんし、これほど楽しい出来事もないでしょう。
アルピーヌA442B
ル・マンでポルシェ936に勝利したあの車です。勝利のカギを握ったのは『新技術』開発に約10年をかけようやく完成したターボエンジンでした。それまでの3年間、アルピーヌはポルシェ936のペースについてはいけていましたが、そのターボエンジンはいつも彼らの期待を裏切るものでした。そして迎えた1978年、その頃のターボエンジンは520馬力を発揮し、流線型で空気力学的にも優れたバブルトップ型のアルピーヌA442Bに期待されるすべてのラグを備えていました。アルピーヌチームは最初、旧型のA443にペースメーカーをさせ、最初の数時間ポルシェ936を苦しめました。うさぎを追う戦術が功を奏し、ポルシェはつまずくことになります。そして、アルピーヌA442Bはフランスの自動車メーカーで唯一のル・マン優勝を手にしました。このエンジンはその後、F1へと旅立ち、世界を変えることになります。かなりのラグ、かなりの速さ(時速390キロでミュルサンヌストレートを抜ける)、そして物理的に優れた排気性能、美しくも壮大なクルマへの挑戦となります。
アストンマーティン DB11
アストンマーティンの "第二の百年紀"に向けた計画の先駆けとなったクルマです。並外れた美しさを持つグランツーリスモですが、モータースポーツ好きにはたまらないのが、新開発のアルミボンドボディストラクチャーの下に隠された600馬力を超える5.2L V12ツインターボエンジンが、勝鬨を上げるようにパチパチと泡を吹いて走り出す姿です。
アストンマーティン DB11 RACING
アストンマーティンの "第二の百年紀"に向けた計画の先駆けとなったクルマです。並外れた美しさを持つグランツーリスモですが、モータースポーツ好きにはたまらないのが、新開発のアルミボンドボディストラクチャーの下に隠された600馬力を超える5.2L V12ツインターボエンジンが、勝鬨を上げるようにパチパチと泡を吹いて走り出す姿です。
アストンマーティン DBR1/300
史上最も価値のあるイギリス製の車は? あなたはすでに見ています。 アストンマーティンは、50年代半ばに5台のDBR1のみを製造し、世界スポーツカー選手権に出場しています。50年代の終わりまでに、チャンピオンシップ、ル・マン、ニュルブルクリンク、ツーリスト・トロフィーを制覇していますが、それらはすべて全盛期の1959年シーズンに達成されました。2017年には、最初に生産されたアストンマーティンDBR1が22,555,000米ドルで売りに出されました。でも気楽に行きましょう、多少へこんだとしても気にすることはありません。
アストンマーティン ヴァンテージGT12
こアストンマーティンは、Vantage GT12を「トラックにインスパイアされた」車と呼んでいますが、それはその性能がロードカーとレースカーの境界線を真に曖昧にしているからです。この車はこれまでに100台しか製造されていません。6L V12エンジンの絶叫マシン、ディナーテーブルよりも大きなリアウイング、フレアカーボンファイバー製のフロントウイング、カーボンファイバー製ボンネットなど、トラックに特化したエアロダイナミクスパックを備えたこのマシンを正しく運転すれば、勝てないわけがありません。
アストンマーティン ヴァンテージGT3
この車は、アストンマーティンV12型ヴァンテージGT3の後継モデルとなる、アストンマーティンの新型GT3レースカーです。アストンマーティン・レーシングが最適化した4LツインターボV8エンジンを搭載し、10年近くにわたってヴァンテージを安定した勝利に導いてきた英国ブランドのこだわり、すなわち、あらゆるカテゴリーのドライバーが限界を素早く見つけることができる性能を維持し続けています。その限界とは、どこでレースをしても勝てるということです。ただし、オーバードライブは禁物ですね。
アストンマーティン ヴァンテージAMR
AMRはAston Martin Racingの略で、箱から出せば、すぐに何を手に入れたのかがわかると思います。 「例えるならば、生身で本能的、唯一無二の目的をゆるぎないものとする生まれながらの捕食者という感じです。その世界的に有名なデザイン、俊敏なパフォーマンスと献身的な職人技があなたの五感を圧倒するでしょう」。それは伝説的な4.0Lツインターボチャージャー付きV8エンジンに始まり、これまでに生産されたスポーツカーの中で最高にエキサイティングなものとなっており、驚異のパフォーマンスに圧倒されるでしょう。
アストンマーティン ヴァンテージ GTE
ロードカー「ヴァンテージAMR」と並ぶ生粋のGTレーサーです。同じエンジン、同じ思想でありながら、さらに速くなっています。トランスミッションは、7速マニュアルから6速シーケンシャルミッションに変更され、ロードカーからの軽量化を図ることで、GT仕様に完全対応。また、エアロも改良されており、ツイストしたコーナーでは捕食者のようなグリップ感を、ストレートではトップエンドで妥協のない速さを発揮するようになっている。これで勝てない人はスキルアップが必要です。
アストンマーティン バルカンAMR Pro
820馬力のアストンマーティン・バルカン(トラック専用スーパーカー)をさらに速くするにはどうすればいいのかという疑問の答えは、2017年のグッドウッドで、これまでに生産されたアストンマーチン・バルカンの全24モデルで利用可能なパフォーマンスアップグレードパッケージという形で出されました。トラック専用スーパーカーで、これ以上のものはありません。制限やレースシリーズの規定に捕らわれず現在のアストンマーティンに作ることのできる限界の速さを持ったこのモデルは、スリル満載の秒速ランナーをさらに速くすると同時に、ワイルドさも兼ね備えています。
アウディ90クワトロIMSA GTO
1989年、アウディは720馬力のターボチャージャー付きモンスターを引っ提げ、アメリカのIMSA選手権に参戦しました。そのシーズン、アウディは全てのレースで勝利し、圧倒的な力を見せました。ドライバーのハンス・シュトゥックは、対戦相手を抜き去る度に尻を出して相手をからかう自作の人形をリアウィンドウに飾っていました。シュトゥックは勝利を重ね、その人形は何度も尻を出しました。次はあなたが勝利を重ねる番です。
アウディR18
R18は5度の進化を遂げています。2016年モデルには、超高馬力を誇る4.0L直噴ディーゼルターボのV6エンジンが搭載されています。具体的な数値としては、わずか2秒で時速100km、13秒以内に時速300kmに達します。これはまさに、ル・マン2連覇を達成した進化の証です。瞬きをしている暇はありません。
アウディR8(LMP900)
モータースポーツ史上でも指折りの車を所有するチャンスをお見逃しなく。この600馬力のモンスターは、ル・マンを6回の出場中5回制覇しており、3.6LツインターボV8エンジンと空気抵抗を極限まで抑えたデザインによって、5年間に渡って無敵を誇りました。史上最高のレースカーを、自らの手で運転しましょう。
アウディR8 V10 Plus 5.2 FSIクワトロ
知るべきことと、このモンスターを所有すべき理由は、全てこの車名に含まれています。強力な5.2L V10エンジンと、独自の4WDシステム「クワトロ」を搭載したアウディのR8スーパーカーです。このモンスターを所有するということは、クリスマスを所有するようなものです。
アウディR8 LMS
この車はお金で買えるGT3クラスの最高級車かもしれません。世界中で勝利を重ねた功績を受け継ぐものとして開発されたこの車に、アップデートを施した2015年モデルは、5.2L V10エンジン搭載の585馬力を誇り、わずか3.2秒で時速100kmに達します。アウディR8 LMSには、GT3クラスで勝つための要素が全て揃っています。
アウディTTSクーペ
楽しく、速く、グリップに優れたTTSクーペには、288馬力のターボ5気筒TT Rが搭載されており、約4.4秒で時速100kmに達します。アウディの全輪駆動システムによって、天候や道の状態に関わらず走行が可能で、力強いトルクを発揮します。
V8クワトロDTM
DTM(ドイツのツーリングカー選手権)の連覇を史上初めて成し遂げた1991年のV8クワトロは、アウディの名を再び世界に轟かせることに成功した車です。80年代のアウディは、オントラックレーシングをリードする存在ではなかったものの、Golf Mk2 16Vの1.8Lエンジンを倍化させることで、ドイツ最高峰のツーリングカー選手権でBMWとメルセデスにその力を見せつけました。その強力なパワーと驚異的な牽引力で、2年の間、無敵を誇りました。アウディの時代はこの車から始まったのです。
2020 アウディ AI:RACE
アウディのデザインと技術を結集したEVのコンセプトカーは、「アウディ AI:RACE」と呼ばれており、これは未来のスポーツカーに対するアウディのビジョン、一言で言えば「スピード」です。革新はコックピットから始まり、運転席を中央に配置することで、伝統的な「モノポスト」とすることができます。「ミッドシップエンジン」の操作感を得られるようにバッテリーを配置し、アルミニウムやカーボン、複合素材を活用することで重量を1,550kg以下に抑えることで優れたハンドリングとバランスが確保されています。3基のモーター(フロントに1基、リアに2基)を搭載し、ブーストモードでは765馬力、0-100km/h加速を約2秒、LMP1のようなプロトタイプ性能を発揮します。
BAC Mono
乾燥重量わずか580kgの世界唯一のシングルシーター・ロードリーガルスーパーカーは、まさに究極のパフォーマンスを発揮します。加えて、心地良い音とハイパワーが特徴のMountuneの2.5L自然吸気エンジンが、305bhpのパワーと最高時速274kmを実現します。スーパーカーの皮を被ったフォーミュラカーを運転するという革命的な体験と共に、究極のドライビングを楽しみましょう。運転席に乗り込んだ瞬間から、思った通りに動く喜びを体感できるでしょう。
ベントレー・コンチネンタルGT3
2017年に開発され、選手権も制覇したベントレー・コンチネンタルGT3の第二世代は、ベントレーがGTレーシングに復帰した2013年モデルよりもさらに高スペックとなっています。重量1300kg以下、4.0L V8ツインターボエンジンを搭載し、550馬力を誇る、ベントレーの稀に見る最高傑作は、これ以上手を加える余地のない完璧なレーシングカーです。ベントレー・コンチネンタルGT3で勝つことができないなら、それは運転する側の問題でしょう。
ベントレー・スピード8
2001年、ベントレーは新たに開発したLMGTPクラスのベントレー・スピード8を引っ提げ、実に68年ぶりにル・マン24時間レースに復帰しました。そのわずか2年後、ベントレー・スピード8は、このイギリスのカーメーカーに1930年以来となるル・マンでの勝利をもたらしました。アウディと共有の4.0L V8ツインターボエンジンによる、余りにも圧倒的なエンジニアリングの勝利でした。それはまさに、生ける遺産、生ける歴史と呼べるものです。
ブガッティ・シロン・スポーツ
1930年代にブガッティ最大の勝利をもたらした伝説のドライバーにちなんで名付けられた(ルイ・)シロン・スポーツは、1500馬力を誇る驚異的な8Lのクアッドターボ(間違いではないですよ)が、レーシング用に完璧に調整された車台を動かしています。レース仕様のサスペンションと車台の軽量化によって、最高時速420kmまで到達し、わずか6秒程度で時速200kmに達します。集中して運転しないと、大惨事が起きるでしょう。気弱な人には向かない車です。
キャデラックATS-V.R GT3
GT3仕様のキャデラックATSは3.6Lツインターボ搭載、マフラーなしのサイド排気方式で、運転すると猛烈な音をたてます。フロントスプリッターと、最後のストレートをかっ飛ばした名残のように後方に突き出た巨大なリアウィングを備え、カーボンファイバーをふんだんに使ったほぼ完璧な50:50の重量配分を有する、軽量で高速なキャデラックATS-V.R GT3は、勝利を義務付けられた車です。この車と共に勝利に酔いしれましょう。
ケータハム・セブン® 620 R
ケータハム620 Rはケータハム史上最速のロードカーで、世界一速い量産車でもあります。カーボンファイバー製の軽い外板や約8000RPMを誇るエンジンだけでなく、これまでに作られたほとんどのスーパーカーよりパワーウェイトレシオが優れていることが、その要因として挙げられます。F1仕様のサスペンション、3秒未満で時速100kmに達する加速力、異次元のハンドリング、そしてトラクションコントロールなしという特徴を備えるこの車なら、これまで経験したことのないような、極限まで純粋なドライビング体験が味わえるでしょう。あまり右足を踏み込み過ぎないようにしましょう。
シボレー・カマロZ/28 ‘69トランザム
アメリカのロードレーシングの黄金期の喜びを体現する希少車。その騒音、トラコによる420馬力の高性能エンジン、急傾斜のアシッドドリップボディ、異常なバランス感は、全てUSレーシングの象徴であるロジャー・ペンスキーとそのドライバー/エンジニア/ブレーンであるマーク・ダナヒューによって作られました。トランザム・シリーズでは、アメリカの自動車メーカーによるファクトリー・バックドを相手に、13レース中10レースで勝利しました。欧州に上陸してからも、最強と思われた相手に勝利しています。ちょっとでも気を抜くと、その暴力性、残虐性に一瞬で飲まれてしまうので、注意しましょう。
シボレー・カマロZL-1
6.2L V8エンジンを共有しているという理由で、4シーターのシボレー・コルベットと呼ばれることもありますが、それはこの車の本質を十分に捉えたものではなく、実際はアクセルを思い切り踏み込めさえすればドリフト走行を行なえてしまうほどに強力な、650馬力のモンスターなのです。シボレー・カマロZL-1は、あなたを幸せにするために生まれてきた車です。さあ、笑って!
シボレー・カマロZL-1 GT4.R
シボレー・カマロZL1をさらに強力にした兄のような存在で、シボレー・コルベットのレーシングカーを設計したプラット&ミラー・エンジニアリングによってレーストラックに特化した車としてデザインされました。軽量化のため、あらゆる箇所にカーボンファイバーが使われており、同じ6.2Lエンジンには新たなカムとリミテッドスリップデフが搭載され、月曜朝の学生のような激しい走りを見せます。その力を見誤ると、噛みつかれてしまうことでしょう。その力を尊重することができれば、いつでもどこでも勝利できる車となってくれます。
シボレー・コルベットZ06
第7世代のシボレー・コルベットは、史上最高のアメリカ製スーパーカーの魂を引き継ぎ、さらに洗練された車です。わずかな価格で、60年間に渡って第一線を率いてきた性能を手に入れることができるのです。シボレー・カマロZL1と同じ6.2LのV8エンジンが搭載され、その650馬力の力によって、3秒未満で時速100キロに達します。理想的な50:50の重量配分で、シボレー・コルベット史上最高のハンドリング性能を誇ります。その落ち着き、美しさ、パワー—そして音を体感してください…
シボレー・コルベットC7.R
プラット&ミラーとシボレーの共同で開発されたシボレー・コルベットZ06のレーシングバージョンで、世界中のレース場で競合相手を置き去りにしたモンスター車です。その圧倒的な力の要因となっているのが、5.5L V8自然吸気エンジンで、右足の下に戦車の大軍が潜んでいるかのような音を発し、わずか1トン程度の車体の中で500頭分のアメリカ馬が駆けているような走りを見せます。その力に第7世代のコルベットのハンドリング性能を掛け合わせた結果として完成したのが、デイトナとチャンピオンシップを制し、コルベット・レーシングに100回目の勝利をもたらしたレーシング兵器だったのです。次はあなたの番です。この車での敗北は許されませんよ。
シボレー・コルベット・スティングレイZ51
あなたが今、昏睡状態から目覚めたとして、知っておくべきニュースは1つだけです。それは、新世代のシボレー・コルベットが、これまでの7世代分のコルベットを過去に葬り去ったということです。第8世代となる2020年のシボレー・コルベット・スティングレイに採用されたのは、第7世代のシボレー・コルベットの一部のみです。なぜでしょうか? それは、シボレーがスモールブロック6.2L V8エンジンを車体中央に搭載しただけで、シボレー・コルベットを、500馬力、時速0-100キロ加速3秒以内、エンジンをその位置に置くことでしか実現できないハンドリング性能を持つミッドシップスーパーカーに変貌させたからです。シボレーが、これを「完成に67年を費やしたドリームカー」と言うのも決して大袈裟ではありません。シボレーのスモールブロックV8エンジンは、1960年代のCERV Iのコンセプトからスタートしたミッドシップのコルベットの開発に何十年も費やしたシボレー・コルベットの父、ゾーラ・アーカス=ダントフによって開発されました。ミッドシップのコルベットの完成までには50年を要しましたが、5秒間もハンドルを握れば—その理由がよく分かるはずです。また、Z51のパフォーマンスパックは、レース仕様のサスペンション、電子スリップデフ、プラスアルファのパワーをもたらします。今すぐ乗り込みましょう!
シボレー・コルベットC8.R
新型のミッドシップシボレー・コルベットのレーシングバージョンです。大きなウィングとエアロ、軽量、ローライドといった特徴の中でも特筆すべきはミッドシップであるということです。ブロック内のフラットプレーンクランクシャフトによって、500馬力の自然吸気5.5LV8エンジンが搭載されています。フラットプレーンのシャフトは最高レベルの回転速度を実現し、かつての栄光の時代のF1カーのような音を発します。今すぐ乗り込んで、その音と勝利への憤激を体感しましょう。
Dallara IR-18
ダラーラDW12は、インディカー・シリーズ専用に作られた公式のフォーミュラカーで、少なくとも2021シーズンまでアップデートされる予定はありません。シャーシは、2011年10月16日にラスベガス・モータースピードウェイで事故死したダン・ウェルドンによって開発されたものであるため、DWの名が付けられています。シボレーのエンジン(シボレー・インディV6)を積んだダラーラIR-18は、かつてのフォーミュラレーシングを彷彿とさせる—力強さ、騒音、鋭いハンドリング性能を見せてくれます。その走りをぜひお楽しみください。
ダッジ・チャレンジャーSRTヘルキャット・レッドアイ
注目すべきは—797馬力—という数字です。これは、アクセルを全開にすると、3速でもホイールスピンしてしまうことを意味しています。ウェットな路面で、このようなことができる勇敢な人間は少ないでしょう。その強力な馬力と素晴らしいハンドリング性能によって、涙目になってしまうことも多いと思いますが、ペダルの加減には十分注意しましょう。—デリケートに扱えば、レッドアイはあなたのものです。
ダッジ・ヴァイパーACR
ダッジ・ヴァイパーこそ、アメリカ製スポーツカーの最高峰だと言う人々もいます。一方で、アメリカのスポーツカーについて何も知らない人々もいます。何十年もの間、ヴァイパーは消滅するのではないかとの噂が飛び交っていました。そして2017年、噂は現実となり、—この偉大なアメリカンスーパーカーの生産を終了するとの公式発表がありました。あらゆる伝説がそうであるように、最も惜しまれる時期に、—ボーイングよりも巨大な「Xウィング」、自分の恐怖を覆い隠せるほど大きなディフューザー、645馬力の8.4L V10エンジンを搭載した2017ダッジ・ヴァイパーACRは姿を消してしまいました。このダッジ・ヴァイパーを真に特別なものにしているのは、そのハンドリング性能です。その鋭敏な反応は常に高い評価を得てきましたが、ACRはハンドリング性能とパワーがさらに洗練され、ダッジ・ヴァイパーをスーパーカーの頂点に押し上げました。この真のレースアサシンの最後の生き残りが存在しなければ、世界は今よりも退屈なものとなっていたことでしょう。
フォード・エスコートRS1600
この1970年代のラリーとトラックの伝説には、6桁米ドルの価値があります。その象徴的な形状、自由に回転するフォード・コスワースによる1.6Lエンジン、羽のように軽く機敏なシャーシなどの特徴を踏まえれば、当然の評価でしょう。この車に乗る勇気さえあれば、その価値がすぐに分かるはずです。派手に乗り回すために設計された車です。存分にお楽しみください!
フォード・ファルコンFG V8スーパーカー
2013年にバサーストのマウント・パノラマで全てを勝ち取った車で、数十年の間に最初にその偉業を達成したファクトリーエンターのフォード車です。NASCAR由来の600馬力のV8エンジンを搭載し、フォードのV8レーシングの新時代の始まりを告げた存在でした。しかし、その力強さと威圧感に恐れる必要はありません。その素晴らしいハンドリング性能は、どのようなコースでも楽々とドライバーを運んでくれます。パワーに知性が加わったこの車には—勝利を与えてあげてください。
フォード・フュージョン・ストックカー
アメリカのオーバルトラック用に開発されたフォード・フュージョン・ストックカーは、強力なV8エンジンとアンダーボディエアロを搭載した700馬力超の非凡な車です。ロードコースで素晴らしい走りを見せてくれます。爽快な走りをお楽しみください。
フォード GT
ルネサンス時代のフライングバットレスを彷彿とさせる、このティアドロップ型の空気力学的効率の高いジェット戦闘機のような車は、ル・マンを制したGT40の生まれ変わりです。フォードをス―パ―カーのトップに再び引き上げた467馬力のEcoBoost®3.5LV6エンジンは、傍から見ても—自分で運転しても、驚くべき走りを見せます。「世界最高の自動車エンジニアに、限界の壁を押し上げるためだけでなく、その壁をぶち破るために必要な時間とリソースを与えるとどうなるか、ぜひ見届けてください」これは、フォードGTが世界にお披露目されたときにフォードが語った言葉です。この車は、あらゆる道とライバルを飼いならしてしまうモンスターなのです。
フォード GT LM GTE
フォードGTの驚くべきところは、ロードカーとレーシングカーが同時に開発されたということです。これは、ロードカーの70%がレーシングカーのものであることを意味しています。フォードGT LM GTEは、サイド排気ながら高く激しい排気音を排出します。一方、リアウィングが大きなリアディフューザーを小さく見せています。類まれなパフォーマンスを見せるレーシングカーですが、具体的に言及する人はいないものの、他のGTカーとのバランスを保つため、GTの規定がその真のパフォーマンスを阻害していることは間違いありません。1966年の勝利から50年後、フォードは2016年にル・マンへの帰還を果たし、フォードGT LM GTEがその場を圧倒しました。この車で道を支配できないのであれば、今後のキャリアを考え直す必要があるでしょう。
フォード MkIV
1966年にル・マンの栄光を勝ち取ったフォードGT40の最も進化した最終バージョンであるこの1967フォードMkIVは、完全にゼロから設計されており、1つの不可欠な要素を除いて、1966年モデルから引き継がれたものは一切ありません。唯一受け継がれたのは、アメリカらしいパワーを体現する強力な427モーターだけでした。フロントガラスのワイパーは、雨の中での最高速度に対応するためボーイングの航空機用のものが使われており、構造はほぼジェット戦闘機のような作りです。1967年のル・マンでは、2番手の車を4度周回遅れにするほど圧倒的な力を見せつけました。恐ろしいほどの速さを誇るマシンです。派手に行きましょう!
フォード・マスタング2+2ファストバック
元祖ポニーカーは、リアブートを長く大きなシルエットの下に隠したこの2+2ファストバックによって伝説となりました。この270馬力のV8エンジンを搭載した車をきっかけに、欧州製のスポーツカーに乗っていた層がフォード・マスタングに関心を寄せるようになり、リー・アイアコッカが描いていた—フォードの夢が—現実となりました。今日のフォード マスタングの基準の高さを思えば、そのハンドリング性能は旧式のものですが、それこそがこの車の味となっています。肘を突き出して乗り回しましょう!
フォード・マスタング・コブラ・トランザム
1997年のトランザム・シリーズはこの車のための大会となりました。エントリーした13レース中、13度ポールポジションを確保し、13度の勝利を手にしました。(カーボンファイバーとガラス繊維による)ハイテクスキンの中には、12秒未満で時速200キロに達するV8エンジンが搭載され—650馬力、上限8,200RPMを誇ります。強力かつ軽快なこの車は、アメリカのロードレーシングの優れた点を全て兼ね備え、最高のパフォーマンスを発揮します。荘厳な音と共に、最高のレーシングをお楽しみください。
フォード・マスタングGT
このポニーカーは、朝食にタイヤ、昼食にスーパーカー気取りの車を食べます。その5L V8エンジンによって、後方に大量のゴムの塊を置き去りにしていくことは避けられないでしょう。この世代のフォード・マスタングは、リアサスペンションが独立しており、オーバーステアのためにハンドリングも微調整されています。また、リアタイヤをロックするラインロックによって、派手に走行し、ハリウッド張りのタイヤ痕を残すことができます。このマススタングこそ、ポニーカーの全てなのです。無謀な運転を楽しみましょう。
シエラ・コズワースRS500グループA
かつて世界を席巻したモンスター車です。当初はレーシングカーとして開発され—その後ロードカーとして生産された—コスワース製の440馬力のターボエンジンを積んだフォードRS500は、近寄ってくるライバルを嘲笑うかのようなハンドリング性能を見せます。オーストラリア、ドイツ、日本、ニュージーランド、イギリスのツーリングカー選手権やオーストラリアの耐久レースで複数回勝利を挙げています。この車でも勝てないなら、もう少し腕を磨く方法を考えた方がいいでしょう。
フォード・ザクスピード・カプリ Gr.5
グループ5は、70年代後半のツーリングカーの世界における花形であり、「ジギー・スターダスト」よりも派手な盛り上がりを見せていました。フォードは、レーシングチーム「ザクスピード」に依頼して、フォード・カプリから専用のレーシングカーを開発しました。ザクスピードは、重量70kgにも満たないシャーシと—巨大なケブラー製のアーチとスポイラー、巨大なリアウィングなどを含むエアロパーツを備えたマシンを完成させました。そして、1.4Lエンジンを改造してターボチャージャーを付け、重量800kgの車で—400馬力、9,000RPMを実現しました! 1979年と1980年の選手権を経て、フォードはさらに改良を重ね、エンジンにダブルターボチャージャーを付け600馬力とし、地面効果を最大化し、再び選手権に向けて走り出しました。強力なパワー、巨大なターボ、迫力のあるシルエット、そして息をのむようなスリルが味わえるこの車は—史上最高のGTカーの1つに挙げられます。今すぐ乗り込みましょう!
ジネッタ G40 GT5
ジネッタG40 GT5は、競争力が極めて高い独自シリーズの主役的存在で、若手ドライバーたちを育ててきた実績を持ちます。ドライバーに違いを生み出させる高スぺックのレーシングカーであるジネッタGT5は、軽量で素早く、見事に調整された車で、フォードZETECエンジンが搭載されています。爽快なドア・トゥ・ドアのレースを保証してくれる見事なバランスを備えており、英国の週末に開催されるほぼすべてのレースでこの車を見つけることができるでしょう。次はあなたが乗る番です。仲間を集めてトラックに出て、心からレースを楽しんでください。
ジネッタ G55 GT4
フォード3.7L V6エンジンと機敏なハンドリング性能を誇り、世界で最も成功したGT4マシンの1つです。ジネッタG55は、イギリスのGT4で9シーズンで7つのタイトルを獲得し、世界中で累計40回以上クラスでの勝利を収めています。信頼性が高く、迅速かつ機敏で、バランスが取れたジネッタG55 GT4で勝利を収められないのなら、別の道を探した方がいいでしょう。
ジネッタ G55 GT3
自社製のけたたましい砲声を発する4.3L V8エンジンが搭載され、すべてを勝ち取ったジネッタG55のプラットフォームをベースとするこの570馬力のGT3マシンは、扱いやすく、極めて信頼性の高い車です。この極めて実直なGT3は、適切なドライバーの手に渡れば、世界のビッグネームの脅威となれるでしょう。
ジネッタ LMP3
ジネッタの超効率的なLMP3マシンは、日産のパワートレインをベースに、ハンドリング性能を洗練させ、最先端のアクセサリーが搭載されており、その性能の高さは、ボルトン大学先進工学研究センターが研究用に一台購入したことが物語っています。ヨーロッパのル・マンシリーズのデビューシーズンで1位と2位でフィニッシュし、そのシーズンのその後のレースをすべて制しました。この伝説のLMP3は生まれながらの王者です。敗北は許されません。
ホンダ 2&4 コンセプト
バイクでもあり車でもある、すべてのスリルを体感できるホンダのプロジェクト2&4と呼ばれるコンセプトカーは、純粋なドライビングの高揚感を体現しています。重量わずか405kgの車体は、1965年のF1ホンダRA272にインスパイアされています。エンジンは重心と機敏性の最適化のために底部に搭載されており、驚異的な14000RPM、200馬力以上の性能を発揮します。加えて、路面から数センチしかない位置にシートがあり、ホンダはこれは、「バイクの最もスリリングな要素と、車の最も魅力的な特性を組み合わせた強烈な運転体験が可能」と表現しています。実際は、それ以上の体験になるでしょう。
ホンダ シビックタイプR
それがタイプ「R」であり、象徴的な赤い「H」のバッジが付いているなら、特別な車であることを意味します。ホンダ シビックタイプRは、最初のターボチャージャー付きの300馬力のホットハッチとして、前輪駆動市場を支配するために誕生しました。そしてそれを証明するために、ホンダはこの車をヨーロッパツアーに参戦させ、シルバーストーン、スパ、モンツァ、そしてハンガリーのそれぞれでベンチマーク記録を作りました。最高レベルの調整がされているため、パフォーマンスを最大限に引き出せるドライバーを必要とする車です。
ジャガーEタイプ V12 グループ44
ジャガーEタイプは—エンツォ・フェラーリが「世界で最も美しい車」と呼んだ車だったものの—生産10年目を迎えていた1971年の売上は伸び悩みを見せていました。当時のジャガーのオーナーだったレイランドは、アメリカでトライアンフTR6を走らせていたグループ44で名を上げたボブ・タリウスに連絡し、ジャガーと共に東海岸のSCAAによるカーイベントに参加するよう呼び掛けました。レイランドは、このシリーズで活躍すれば売上が伸びると考えていたのです。タリウスは、V12エンジンを搭載したシリーズ3 Eタイプのジャガーを採用し、それを骨組みまで解体して屋根をなくし、フロントガラスさえもプレキシガラスに置き換えたうえで本番に挑みました。460馬力のV12エンジンを搭載したその車は、17レース中12回勝利しただけでなく、チャンピオンシップをも制覇。任務完了です。さぁ、あなたもこのマシンに乗り込み圧倒しましょう。
ジャガーFタイプ SVR クーペ
トラック仕様のジャガーF タイプSVRは、最高のパフォーマンスを発揮できるように設計されています。3.7秒で時速100キロに達する加速と、最高時速322キロを実現する力強い5L V8エンジンを飼いならす4輪駆動システムが採用されたジャガーFタイプSVRは、抗力を制限すると同時にダウンフォースを増加させるように設計されたウイングを始めとして、様々な最先端技術を駆使したスピードとハンドリング性能が売りのマシンです。そこに電子差動を加えれば、必要なのはその性能を最大限まで引き出せるドライバーだけです。
ジャガー XJ220 S
1990年代初頭のある期間、世界最速の生産車はこのジャガーでした。それは驚くことに、エンジニアのグループが土曜日の午後に集まって考案されたものでした。最高速度は時速341キロ、ニュルブルクリンクでのタイムは7時間46分36秒。この3.5L V6ツインターボエンジンを搭載したグループBラリーカーには不満の声も多く、商用的には失敗しています。しかし、1993年1月、イギリスのレースチームTWRは、ジャガーXJ220が理想的なGTクラスのマシンになると考えました。アルミニウム製のボディはカーボンファイバーに置き換えられ、エンジンは700馬力に近付くように調整され、車内にあるものはすべて取り除かれました。TWRが作業を完了する頃には、ジャガーXJ220S TWRは世界最速の車からさらに特別な車へと変貌を遂げていました。重量は1060kgで、3.2秒で時速100キロまで加速し、最高速度は実に時速366キロを誇りました。サタデークラブスペシャルへようこそ。この車に乗るときは、これまでの常識をすべて捨て去るようにしてください。
ジャガー XJR-9
この巨大な輪郭と印象的な装いの車は、ジャガーの31年に及ぶル・マンでのスランプを終わらせたモンスターです。リードデザイナーのトニー・サウスゲイトは、F1で学んだ地面効果に関する知見を総動員して、カーボンファイバー製のモノコックに7L自然吸気V12エンジンを搭載することで、730馬力のパワーと荘厳な音色を発するマシンを実現しました。時速394キロという最高速度を誇るこの車は、かつて勝利を求めて世界を席巻した神話上の獣のような存在です。1988年には、後を追う8台のポルシェを振り切り、レーシングの象徴として永遠に語り継がれる車となりました。電子機器や地面効果は不十分ですが、その勇気に必ず応えてくれるマシンです。
ケーニグセグ ジェスコ
世界最速の車であるケーニグセグ ジェスコの名は、創設者兼CEOのクリスティアン・フォン・ケーニグセグの父、ジェスコ・・フォン・ケーニグセグが由来となっています。このメガカーの中には、再設計された5LツインターボV8エンジンが入っており、1600馬力のパワーを誇ります。軽量設計と革命的な9速「ケーニグセグ光速トランスミッション」(文字通り、光速に近い速度での変速が可能)によって動かされる強力なエンジンに、最先端の空気力学とアクティブ・リアホイール・ステアリングを備えており、まさに特筆に値するレーシング兵器と言えます。また、300mph(483km/h)を達成した世界初の生産車としても有名です。勇気があるのなら、そのハンドルを握ってみてください。
KTM X-Bow R
KTMのCEO、ステファン・ピアラーは、KTM X-Bowシリーズについて「コーリン・チャップマンが提唱した質実剛健で軽量のスポーツカーからその本質だけを取り出し、可能な限りの革新的な技術を詰め込んで新たな世紀のために生まれ変わらせた」と述べています。そのスーパースポーツカーの精神を体現する究極のマシンこそ、KTM X-Bow Rです。公道での走行が可能な自動車としては世界で唯一のカーボンモノコック構造を持ち、2.0L 300馬力のアウディ製ターボエンジンをリアに搭載したこの車は、サーキットでの走行イベントにうってつけの1台です。軽量のボディで走りは機敏かつパワフル。何よりも楽しさに溢れています。レース・オブ・チャンピオンズで世界最高のドライバーたちが競うマシンとして選ばれているのも納得です。あなたはこのマシンにふさわしいドライバーですか?
KTM X-Bow GT4
KTM X-Bow GT4は、ダラーラ社、ドイツのモータースポーツ・コンストラクターのライター・エンジニアリング社、そしてKTM テクノロジーズ社をはじめとする専門企業のチームが作り上げた長距離走行仕様のリアエンジン車です。KTM X-Bow Rと同一のエンジンを搭載し、2016年チャンピオンシップでブレット・スタンベルグがこのマシンで優勝するなど、レースでもその実力が証明されています。戦闘機のコックピットから着想を得た革命的なキャノピーシステムを持つだけあって、GT4の性能はまさに戦闘機並みです。リアエンジンは機敏なハンドリングと鋭い方向転換を可能にしており、素早いステアリングが得意なドライバーに最適です。
リジェ JS P2
リジェ JS P2は、リジェ社がモータースポーツのトップ企業の座を退いて数十年後に、耐久レースの世界で再びその名を轟かせる端緒となった1台です。ガイ・リジェの友人でF1ドライバーだったジョー・シュレッサーにちなんだ同社の伝統的なモデル名「JS」を冠し、最先端の技術をつぎ込んだ設計のこのマシンは、デビュー後最初のシーズンにしてデイトナ24時間レースでフランスメーカーとして初の優勝という快挙を成し遂げています。軽量(900kg)のボディに500馬力の高出力エンジンを搭載した設計を見れば、当然の結果とも言えます。制約の中でも運転しやすく、あらゆるペースに対応でき、並外れた信頼性を誇ります。本気のドライバーのための本気のマシンと言えるでしょう。
リジェ JS P3
オンローク・オートモーティヴがLMP3として設計・製造したリジェ JS P3は、レースの成績と販売実績の両方で成功をおさめており、これでまでに販売された100台以上が世界中のレースで活躍しています。デビュー後130レースで103勝という高い勝率を誇るこのマシンに乗るなら、1人だけル・マン式スタートでもしない限り負けた時の言い訳は難しいでしょう。
チーム・ロータス タイプ25 クライマックス
ロータス クライマックスは、登場から60年を経た現在でもその基本構造がF1マシンの基礎となっているほど、時代を先取りした革命的なマシンでした。フルストレス・モノコックシャーシを採用し、1962年からの3シーズンで14のF1レース優勝と世界チャンピオン獲得を果たしています。コーリン・チャップマンがある夜に紙ナプキンの裏に描いたスケッチから生まれた車とは信じられないような、驚くほどの活躍です。ガソリンで走るバスタブに例えられたり、タブという愛称を付けられたりもしたこのロータスですが、ジム・クラークのような名ドライバーの手にかかれば無敵のマシンでした。あなたは乗りこなす勇気がありますか?
チーム・ロータス タイプ38 フォード
アメリカのフロントエンジンのロードスターを過去の遺物にし、リアエンジン車として初のインディ500優勝を飾ったこのロータスによって、アメリカのモータースポーツの歴史は一夜にして変わってしまったと言えます。チャップマンが設計した、500馬力を超えるV8エンジンを搭載したこのロータスは、当時の大型ロードスターの中ではまるでミニカーのように見えましたが、ジム・クラークの勝利が、このリアエンジンのモノコックを未来のインディレースの主役に変えたのです。あなたもそんなヒーローになりませんか?
チーム・ロータス タイプ40 フォード
このマシンは、チャップマンには珍しい設計上の欠点と、多くの素晴らしい点を併せ持っています。350馬力のフォードV8エンジンと、700kgに満たない見事なエアロダイナミック形状のボディを持つこの車は、まさに真のドライバーのみに許されたレーシングカーですが、乗りこなすことができれば途轍もない性能を発揮します。ロータスの2シーターグループ7マシンとして登場したこの車でしたが、V8エンジンの重厚なパワーをシャーシが支えきれず、失敗に終わっています。シリーズ最後の1台となったロータス40は、3度の進化を経て様々な点でグレードアップし、数回の勝利も飾りましたが、やはり問題の多いマシンであることは変わりませんでした。コースにおさまり切らないアクションが好きなドライバーのためのマシンです。
チーム・ロータス タイプ49 コスワース
1967年のザントフォールトの前と後で、モータースポーツの世界は全く違うものになってしまいました。コスワースが設計し、フォードが資金提供したエンジンと超軽量シャーシを搭載したロータス49は、ザントフォールトでのデビュー戦で優勝。勝利に向かって突き進むその革命的なデザインに、グリッド上の誰もが未来のレーシングカーの姿を見ました。9,000RPMで400馬力という猛烈なフォードV8エンジンはシャーシに直接ボルトで固定されており、この設計によってロータス49はこの世のものとは思えないハンドリングと11連続ポールポジションを手にしました。ロータス49はあまりに革新的なマシンだったため、1970年まで現役でレースに出場していました。さらに、フォードDFV(F1で数十年にわたり活躍)、ウィング、史上初のスポンサーカラーがこのマシンから生まれています。このマシンに乗るならドリフトしなければ意味がありません。
チーム・ロータス タイプ49C コスワース
1967年のザントフォールトの前と後で、モータースポーツの世界は全く違うものになってしまいました。コスワースが設計し、フォードが資金提供したエンジンと超軽量シャーシを搭載したロータス49は、ザントフォールトでのデビュー戦で優勝。勝利に向かって突き進むその革命的なデザインに、グリッド上の誰もが未来のレーシングカーの姿を見ました。9,000RPMで400馬力という猛烈なフォードV8エンジンはシャーシに直接ボルトで固定されており、この設計によってロータス49はこの世のものとは思えないハンドリングと11連続ポールポジションを手にしました。ロータス49はあまりに革新的なマシンだったため、1970年まで現役でレースに出場していました。さらに、フォードDFV(F1で数十年にわたり活躍)、ウィング、史上初のスポンサーカラーがこのマシンから生まれています。このマシンに乗るならドリフトしなければ意味がありません。
チーム・ロータス タイプ51
フォーミュラ・フォードという小規模なシリーズが生まれたのは1967年のことでした。このシリーズは、その後何世代にもわたってモータースポーツ界のスターを輩出することになります。思い浮かべたドライバーの経歴を調べれば、必ずと言っていいほどフォーミュラ・フォードの出場歴が見つかるでしょう。このシリーズに秘められた可能性に着目したロータスは、ロータス タイプ51を発表。頭角を現す若手に218台を販売し、大きな成功をおさめました。それから50年の年月が経った今でさえも、躍動するフォード・コルティナエンジンとロードタイヤを備えたこの車で集まれば、必ず楽しさに溢れたレースが始まります。
チーム・ロータス タイプ56
1968年のインディ500に出場したこのマシンは、ジェットエンジン搭載のダークホースでした。搭載された技術革新の数々は驚くべきものでした。ジェットエンジンの製造で知られるプラット&ホイットニー社製のガスタービンエンジンに始まり、くさび形のデザイン、完全4輪駆動システムに至るまで、すべてが時代の何光年も先を行っていたのです。ブリックヤードのポールポジションを獲得し、ラップ更新を果たした後、早くも1968年には出場禁止となっています。今こそ挑戦しない手はありません。ただし、乗るなら慎重に。
チーム・ロータス タイプ72D コスワース
伝説のロータス49の後継として登場し、驚くべきことに先代を上回る成功をおさめた1台です。世界最高峰のドライバーのために設計されたロータス72は、あまりに高い性能で丸5年にわたりF1を席捲し、他の追随を許さない覇権を取りました。このロータスで初めて取り入れられた1シーターの形状は、今日まで変わらずに踏襲されています。サイドポッド、インボードブレーキ、そしてあの目もくらむブラック&ゴールドのカラーはここから始まったのです。5シーズンで20回の優勝を果たし、ドライバーに2つ、コンストラクターに3つのタイトルをもたらしました。ワイルドなコーナリングでハードに走りましょう。
チーム・ロータス タイプ78 コスワース
唯一無二の天才、チャップマンが送り出したウィングカー、ロータス78は世界がひっくり返るほどの衝撃をもたらしました。危険なグラウンドエフェクトカーの時代がここから始まったのです。そのメカニズムとは?ベンチュリートンネル構造、または何らかの魔法(お好きな方をどうぞ)によって車体の下の気圧を下げることで、シャーシが路面に吸い付くようなダウンフォースが発生します。車体の下にダウンフォースが発生するため、空気抵抗を生み出すウィングの必要がなくなり、ドラッグを軽減しダウンフォースを増やす理想の設計が可能になりました。こうしてロータス78は、デビューと同時にそれまでのすべての常識を打ち壊したのです。バージボードを備え、グラウンドエフェクトを利用するF1カーの時代の始まりでしたが、あまりにスピードが出すぎるために1982年にFIAによって禁止されました。そんないわくを持つマシンに挑戦する勇気はありますか?
チーム・ロータス タイプ98T ルノーターボ
コーリン・チャップマンの不慮の死から3年、ブラック&ゴールドの最後の栄光となったのは、当時不滅の強さに陰りが見え始めていたブラジルのスーパースタードライバーにタイトルをもたらしたこのマシンでした。モータースポーツの歴史上、最も英雄的な活躍を見せたレースカーの1つでしょう。ルノーのツインターボV6エンジンの最大出力は1200馬力を超え、6速のマニュアルギアボックスに、極限まで無駄を削ぎ落した540kgのボディ。この怪物を飼い馴らせたドライバーは、かつて1人しかいませんでした。さあ、今度はあなたが試される番です。
ロータス・エヴァイヤ
進化と革新を繰り返した70年間の集大成と言えるエヴァイヤですが、その根底にはフォーミュラ1での長期間の成功を支えたロータスの哲学が貫かれています。有名なエンブレムは、クラーク、セナ、フィッティパルディら、最速に挑み歴史を変えた伝説のドライバーたちを支えた技術が最新の車種にも引き継がれている証明なのです。時代の最先端を突き進む性能で既存の技術の限界を突破するこのマシンは、ロータスが追求する理想の究極形です。エヴァイヤに搭載されたバッテリーは、ウィリアムズ社の先進的な技術によって開発されたものです。自社のフォーミュラ1チームとフォーミュラEチームのために特別に開発したテクノロジーが基になっています。バッテリーは車体中央部の通常はエンジンがあるスタックに搭載されており、ホイールベース内の重量配分を中央にタイトに集中させています。ホイールはそれぞれ独立したモーターを持ち、最大出力は493制動馬力に上ります。計算は苦手ですか? すべて足すと1,970馬力という驚異的なパワーが1,600kg強の車体に詰め込まれていることになります。別の言い方をすれば、9秒足らずで静止状態から時速300キロまで加速できます。何かの間違い? いいえ、現実の数字です。
ロータス・エキシージ・カップ430
へセルにあるロータス社のテストトラックから生み出された中で最速のこのマシンは、まさに最終兵器。1,100kg強の車体に430馬力のスーパーチャージャーV6エンジンを搭載し、3.2秒間で時速100キロまで加速、最高速度は時速278キロという野獣、もしくはRoad & Track誌の言葉を借りれば「車の姿をしたスズメバチの巣」です。このマシンの凄さはこうした数値データだけにとどまりません。ミッドシップのモンスターマシンでありながら、フロントスプリッターによってまるでシングルシーターのようなターンイン性能を実現。さらに、リアにはモータースポーツウィングとアルミ製ディフューザーを装備し、高速でのコーナリング時にも信じられないほどのグリップ力を発揮します。まさにレースのために生まれた、規格外の楽しさを約束してくれる1台です。軽量で敏捷なボディ、背中を押すパワフルなV6エンジン… これ以上、人生に何を望みますか?
ロータス・エキシージ・カップ430 レーシング
へセルにあるロータス社のテストトラックから生み出された中で最速のこのマシンは、まさに最終兵器。1,100kg強の車体に430馬力のスーパーチャージャーV6エンジンを搭載し、3.2秒間で時速100キロまで加速、最高速度は時速278キロという野獣、もしくはRoad & Track誌の言葉を借りれば「車の姿をしたスズメバチの巣」です。このマシンの凄さはこうした数値データだけにとどまりません。ミッドシップのモンスターマシンでありながら、フロントスプリッターによってまるでシングルシーターのようなターンイン性能を実現。さらに、リアにはモータースポーツウィングとアルミ製ディフューザーを装備し、高速でのコーナリング時にも信じられないほどのグリップ力を発揮します。まさにレースのために生まれた、規格外の楽しさを約束してくれる1台です。軽量で敏捷なボディ、背中を押すパワフルなV6エンジン… これ以上、人生に何を望みますか?
メルセデス・ベンツ 300 SEL 6.8 AMG
別名、帝国を築いた赤い豚。メルセデス-AMGのマシンがGTレースやF1チャンピオンシップで勝利を掴む姿が当たり前になっている現在から振り返ると、スピードマニアのエンジニア、アウフレヒトとメルヒャー(AMGのAとM)が作り上げた1台の不格好なボックスセダンがAMGの栄光の始まりとなったことは感慨深いものがあります。1971年のある晴れた日、2人がスパ・フランコルシャン24時間レースに持ち込んだ手作りの(そして自信作の)メルセデス300 SEL 6.3(新しい6.8L AMGエンジン搭載)は、430馬力という恐ろしいまでのパワーを解き放ちます。赤い豚と呼ばれたマシンは24時間を経て勝者の称号を勝ち取り、AMGの名は一夜にして世に知られるようになりました。洗練されたところなど1つも見当たらない、まさに野獣のような1台です。その物凄いパワーは航空会社が着陸装置のテスト用に購入するほどなので、運転する前には少し時間をかけて祈りを捧げましょう。
メルセデス-AMG A 45 4マティック
メルセデス-AMGがコンパクトカー部門に参入したとき、誰もが期待したのは長距離を高速で走り抜けるクラス最高のモデルでした。AMGはそのとおりのものをショーで発表してみせたのです。381馬力、5秒以下で時速100キロまで加速できるこのモデルは、当時の地球上で最もパワフルなコンパクトスポーツカーでした。あまりにスピードが出すぎるという理由で、コンピューター制御で最高速度に制限をかけなければならなかったほどです(ドライバーズパッケージで時速270キロ)。ドライバーの腕次第で、公道ではスポーツカーに屈辱を与え、サーキットでは多くのライバルの鼻っ柱をへし折る走りを見せてくれるでしょう。
メルセデス-AMG A 45 SMS-Rツーリング
「Project CARS」のために特別にデザインされたMercedes-AMG A 45のフルレースバージョンです。期待通りの速さにスリルをトッピング。圧倒的な強さを手に入れましょう。
メルセデス-AMG C 63 Sクーペ
503馬力 4LツインターボV8エンジンを搭載した後輪駆動のこのマシンは、4秒以内に時速100キロまで加速でき、最高時速290キロまですべてのスピードでパワーを発揮します。1秒毎に興奮と感動に襲われる体験ができることでしょう。AMGのマッスルカーといえば、ジョーカーのようにワイルドなリアエンドでしたが、このモデルではそれが嘘のように、最もハードな局面ですら思い通りに操作しやすいシャーシにとって代わられています。とは言え、このマシンがAGMならではの高出力で大型、そして純粋な走りの喜びに溢れたモンスターマシンであることに変わりはありませんのでご注意を。
メルセデス-AMG GT R
メルセデスAMGの2台目の自社開発車となったAMG GTは、アルミ合金製のシャーシに4LツインターボV8エンジンを搭載し、同社のチームがGTとF1で10年間にわたりレース界の頂点に君臨する中で蓄積してきたあらゆる技術が駆使されています。AMGのGTシリーズの最上位に位置するメルセデス-AMG GT Rです。ツインターボのレスポンスは「ラグフリー」。これは、時速100キロまで3コンマ数秒で加速し、トップスピードは時速318キロという驚異的なパフォーマンスを意味します。あらゆるモータースポーツのテクノロジーが詰め込まれたこのロードカーは、サーキットでその真の力を解き放つ時を待っているのです。このマシンがF1の公式セーフティーカーに選ばれていることに何の疑問があるでしょうか?
メルセデス-AMG GT3
雷のような音を轟かせる自然吸気6.2L V8エンジン、カーボンファイバー製のボディ、アルミ削り出しのスペースフレームシャーシが詰め込まれた1,300kgの車体。ニュルブルクリンク24時間レースでの入賞歴は1位、2位、3位、それに… 4位も。スーパースムーズなパワー供給と、1950年代のシルバーアローズ(300 SLR)の栄光の時代を彷彿とさせるグリルを備えたGT3は、フロントエンジンの優しいハンドリングと、レースで勝利を手にするための燃えるようなペースの両方を求める人のためのマシンです。
メルセデス・ベンツ300 SLレーシングスポーツカー(W 194, 1952)
第二次世界大戦後、メルセデス・ベンツは300 SL(W194)で再びモータースポーツに参入します。1954年のシーズンにレース形式に関する新しいルールが適用されたため、当初のフォーミュラ1のレーシングカー開発は限られたリソースの中で難航することになりました。新しいレーシングカーの車軸、トランスミッション、エンジンは、メルセデス・ベンツ300(W 186)の標準車両から派生した部品を基に開発されました。この新しいマシンの特徴は、きわめて軽量でありながら非常にねじり剛性の強い中空フレームの上と、その上を覆う流線型の軽量合金製ボディでした。ドア周りの中空フレームが高い位置に配置された結果、このレーシングカーにはルーフにヒンジを備えた特徴的なガルウィングドアが採用されました。1952年のデビュー当初から、300 SLは大きな成功を収めます。主なレースでの勝歴には、ベルンGP(スイス)でのトップ3独占、ル・マン24時間レース(フランス)とメキシコのカレラパンアメリカーナでのワンツーフィニッシュ、ニュルブルクリンク・ジュビリーGPでのトップ4独占などがあります。
技術データ
使用期間:1952
気筒:直列6気筒
排気量:2,996cc
出力:125kW(170馬力)
最高速度:時速240キロ
サウバー-メルセデスC 9(1989)
980年代後半、メルセデス・ベンツはレーストラックに復帰し、主役の座を独占します。その中でも最初の成功をおさめたのがグループCでした。ザウバー-メルセデスC 9は、1987年のデビュー以来ブラックやダークブルーのカラーリングを採用していましたが、1989年には見た目も刷新され、メルセデス・ベンツ・シルバーアローの名のとおり銀色の車体に生まれ変わりました。1989年だけでも、この新型レーシングカーは9戦中8戦でトップの成績をおさめています。この中には、1989年の6月10日と11日に行われたル・マン24時間レースでの勝利も含まれています。メルセデス・ベンツのドライバー、ヨッヘン・マス、マニュエル・ロイター、スタンレー・ディケンズ、そしてマウロ・バルディ、ケニー・アッシェン、ジャンフランコ・ブランカテッリは、第二次世界大戦後に生産された最初のシルバーアロー、メルセデス・ベンツ300 SLレーシングカー(W194)の大成功から37年後、2台のC 9シルバーアローでワンツーフィニッシュを果たしたのです。シーズンの終わりには、ジャン・ルイ・シュレッサーがC9でスポーツカー世界選手権優勝を果たしています。
技術データ
使用期間:1989-1990
気筒:V8
排気量:4,973cc
出力:530kW(720馬力)
最高速度:時速400キロ
メルセデス・ベンツ190 E 2.5-16エボリューションII(W 201, 1992)
メルセデス・ベンツ190 E 2.5-16エボリューションは、1989年ドイツツーリングカー選手権のために開発されたマシンです。前年モデルの190 E 2.3-16と比較すると、最も重要な改良点は、2.5L 16バルブユニットを搭載し、最高出力250kW(340馬力)を発揮するエンジンが新たに採用されていることです。レギュレーションの最大車体重量1,040kgに収めるためには、徹底的な改造が必要でした。ボンネットやトランクリッド、スポイラーなど、多くのボディパーツにケブラー素材が採用されています。1989年5月、この新型レーシングツーリングカーは、ローランド・アッシュをドライバーにして初の優勝を果たします。その後、早くも1989年8月には、メルセデス・ベンツ・スポーツ・テクニック(ST)の社内部門が開発の第2段階として「エボリューションII」に着手します。こうして完成した274kW(373馬力)のレーシングツーリングカーは、1990年8月にクルト・ティームをドライバーにデビューし、初戦で勝利を飾りました。1992年のシーズンには、クラウス・ルートヴィヒが「エボリューションII」でドイツツーリングカー選手権(DTM)に出場、ドライバーズタイトルを獲得しています。
技術データ
使用期間:1990-1993
気筒:直列4気筒
排気量:2,463cc
出力:173kW(235馬力)
最高速度:約時速250キロ
メルセデス・ベンツCLK-LM GT-レーシングスポーツカー, 1998
1997年にFIA GT選手権が初開催されると、スポーツカーシーンが再び活気を取り戻します。メルセデス・ベンツとAMGは、この新しいレースシリーズに向けて、開発期間わずか128日でCLK-GTRを完成させました。6L V12エンジンを搭載したCLK-GTRは1997年のシーズンを席捲し、11戦中6勝、その内4勝はトップ2独占という目覚ましい成績を収めます。シーズン終了時にはAMGメルセデスがチームタイトル、ベルント・シュナイダーがドライバーズタイトルに輝きました。1998年末には、CLK-GTR を改良した後継として5L V8エンジンを搭載したCLK-LMが登場。レースでは先代をさらに超える活躍を見せ、ホッケンハイムリンクでのデビュー戦を制した後、同シーズンの7レースで勝利を飾りました。CLK-GTRが獲得した2つのタイトルに続き、この記録破りのパフォーマンスにより、AMGメルセデスは再びチームタイトルを手にします。さらに、カリフォルニア州ラグナセカで行われた緊迫の決勝戦では、クラウス・ルートヴィヒがブラジル人のリカルド・ゾンタとともにFIA GT選手権ドライバーズタイトルを獲得しました。
技術データ
使用期間:1998
気筒:V8
排気量:4,986cc
出力:441kW(600馬力)
最高速度:時速360キロ
三菱・ランサーエボリューション VI T.M.E.
トミー・マキネンは、世界ラリー選手権で4度の優勝経験を持つ史上最高のダートドライバーの1人です。三菱ランサーエボリューションVI T.M.E.(Tommi Makinen Edition)は、ラリーステージの偉人である彼に忠誠を込めて捧げられた1台です。バンパーの前面にある何の意味も無さそうな穴、276馬力(公称)のパワー、レースよりも格闘技に向いていそうなほど攻撃的な姿勢を持つ、ミステリアスな1台です。舗装された道路用にチューニングしたという三菱の言葉に嘘はないでしょう。時速100キロまで4.5秒で到達し、ハンドリングは現在の基準からしても超常現象レベル(あるいはアクティブ・ヨー・コントロールと4輪駆動の効果によるもの)です。どんなコーナーも朝飯前にクリアし、そのついでにすべてのライバルを蹴散らせます。自分の限界をダブルスコアで超えましょう。あなたにはランエボVIがついています。
三菱・ランサーエボリューション IX FQ-360
三菱ランサーエボリューションの第9世代がスーパーカーキラーだったとすれば、三菱ランサーエボリューションIX FQ-360は、見せかけだけのスーパーカーを駆逐する最終兵器でした。4輪駆動とラリーアートがチューニングした最新の電子制御技術、366馬力のエンジンが詰まった小さな箱のようなこのマシンは、3.6秒で時速100キロまで加速します。天候が悪くコースの路面が滑る時などは、2Lターボエンジンを搭載したこの車に迫ることは至難の業でしょう。あらゆる回転数で卓越したトラクションと猛烈なトルクを発揮し、想像を超えた力であなたの内なるヒーローを目覚めさせてくれる1台です。
BMW 2002ターボ
1973年に発売されたBMW 2002ターボは、ヨーロッパ初のターボ車でした。このターボは燃費を考慮したものではなく、2Lエンジンにパワーをもたらすためのものでした。その結果、170馬力と最高レベルのターボラグを実現し、(勇敢な一部ドライバーが)フロントスポイラーに鏡文字で「TURBO」と書くこととなったのです(これが前走車のミラーに映し出されることで、前を行くドライバーへのプレッシャーになりました)。1973年のオイルショックの影響により、わずか1672台で生産中止となったものの、数秒間、爽快なうなりをあげた後に猛発進する最高レベルのターボラグは、並のドライバーにとっては危険すぎると見なされました。とは言え、この車はBMWのその後50年の基礎であり続けています。走る喜びを感じましょう。
究極のBMW2002、BMW2002レーシング。アーチ、フェンダー、全てがより大きく、ワイルドに周囲を刺激します。
BMW 2002 Racing
1973年に発売されたBMW 2002ターボは、ヨーロッパ初のターボ車でした。このターボは燃費を考慮したものではなく、2Lエンジンにパワーをもたらすためのものでした。その結果、170馬力と最高レベルのターボラグを実現し、(勇敢な一部ドライバーが)フロントスポイラーに鏡文字で「TURBO」と書くこととなったのです(これが前走車のミラーに映し出されることで、前を行くドライバーへのプレッシャーになりました)。1973年のオイルショックの影響により、わずか1672台で生産中止となったものの、数秒間、爽快なうなりをあげた後に猛発進する最高レベルのターボラグは、並のドライバーにとっては危険すぎると見なされました。とは言え、この車はBMWのその後50年の基礎であり続けています。走る喜びを感じましょう。
究極のBMW2002、BMW2002レーシング。アーチ、フェンダー、全てがより大きく、ワイルドに周囲を刺激します。
BMW 320 TC (E90)
BMWはレーシング仕様のBMW320 TCを2011年に世界ツーリングカー選手権でデビューさせ、そのまま優勝しました。その完璧な重量配分と約9000RPMのターボが搭載されていることを踏まえれば、驚くべき結果ではありません。コーナーでクラッシュしない限り、どんな状況でもこの車を運転していればご機嫌でいられるでしょう。
BMW320ターボ・グループ5
世界がBMWの3シリーズに恋するきっかけとなった車です。BMW320ターボは、爆発は大きく、パイプは太く、ウィングは頑丈で、排気が派手なほど良い車とされた、伝説的なグループ5に参戦することを目的に開発されました。あのジル・ヴィルヌーヴがこの車でモスポートを制したのも納得の結果でしょう。2Lのターボは600馬力に達し、その巨大なフロントスポイラーがコース上のライバルを抜き去ると、BMWはこの3シリーズでの世界制覇を期待しました。
BMW M1プロカー
BMWのMシリーズを世界に知らしめたBMW M1プロカーは、公道仕様のBMW M1のレーシングバージョンとして開発されました。M1はグループ4モデルとして設計されていたものの、生産台数が規定に届かず、認定されなかったのです。それをきっかけにプロカーシリーズが開発されました。1979~1980年の間に最高のF1ドライバーを乗せ、純粋なドア・ツー・ドアのレースを展開したことで、BMW M1プロカーは誰もが知るようにBMWの伝説となりました。何といってもこの車は速かった―—とにかく速かったのです。レースデビューから40年後の2019年、BMW Group Classicは、伝説のプロカーシリーズから14モデルを発売し、BMW M1をノリスリンクのスタート位置に戻しました。この車は、BMW Mシリーズの父親と呼べる存在です。
BMW M3グループA
勝利する車こそが、最も愛される車です。勝利するほど愛されます。M3スポーツ・エボ・グループAはその好例です。象徴的な外観と、ドイツ、イタリア、イギリス、オーストラリアの大会を制してきた勝者の血筋を引き継いだ2.3Lエンジンを搭載したこのモンスターは、5年の長きに渡りツーリングカーの世界を牽引しました。その支配は1987年から1991年まで続きました。実際に運転するバージョンは、2.5L、355馬力までアップグレードされています。Mシリーズをまさしく具現化した象徴的な美しさとパフォーマンスが特徴的です。
BMW M6 GT3
2016年に生産されたM6 GT3が最初の勝利を手にするまで――それも、全モータースポーツの大会の中で最も難しいイベントの1つとされる、Spa-Francorchamps24時間レースを制覇するまで――は、そう長くかかりませんでした。4.4L V8ツインパワーターボによる585馬力と1300kg未満の重量、そしてハイテク機器を搭載したこの車は、ハイテクというステロイドを打ったモダンなGTレーサーで、強力なパワー、格好いい外観、そしてわずかな労力で限界の力を発揮できる能力が魅力です。
BMW V12 LMR
BMW V12 LMRは、BMW唯一のル・マンを制したプロトタイプレーシングカーです。BMWモータースポーツとウィリアムズF1の野心的な計画から生まれ、前者がデザインとエンジン、後者が車台を担当しました。6L V12エンジン搭載により、580馬力、最高時速350kmを誇ります。オープンボディの爽やかなデザインのV12 LMRは、BMW史上最高峰の製品であり、BMWが大成功を収めた時代を代表する、運転することの絶対的な喜びを具現化した車です。
BMW Z4 GT3
この世界的カーメーカーは10年ほど前からGTレーシングを主戦場とし、覇権と顧客のために戦っています。BMWがBMW Z4でグループGT3に参戦したことで、モータースポーツの報道陣の一部から落胆の声があがりました。しかしそのような声は無知によるもので、BMW Z4には、「最後の晩餐」ができそうなくらい巨大なウィング、最高級のフロントスプリッターとリアディフューザー、そして大理石のように堅固なV8エンジンが搭載されていました。勝利を手にするまで長くはかからず、BMW Z4 GT3はGT3レースの表彰台の常連となり、2011年のSpa-Francorchamps24時間レースでは48位から2位まで順位を上げてゴールするという、BMW史上最高のレースの主役となりました。
FIAフォーミュラE Gen2
スパーク・レーシング・テクノロジーとダラーラが現シーズンのフォーミュラE用に製作したシャシーで、同シリーズの第2世代レーサーとなります。3秒以内に時速100キロまで加速することができ、最高速度は時速280キロです。また、前モデルの約2倍のエネルギー容量を持つ新型バッテリーを搭載し、1回の充電でレースコースを完走することも可能です。世界の大手自動車メーカーが多数参戦するABB FIAフォーミュラE選手権は、現在世界で最も急激な成長を遂げているスポーツです。
日産280ZX IMSA GTX
日産280ZX IMSA GTXは、700馬力のツインターボ4.5L V8エンジンを搭載、1980年代初頭のIMSAシリーズの立役者となりました。伝説的ハリウッド俳優のポール・ニューマンがこの車でレースに挑み、素晴らしい成績を残していますが、まさに彼のようなヒーローのための名車です。唯一無二のサウンドに、勇気と技術の両方が求められるハンドリングを特徴とするこのIMSAランナーは、時代を超えたクラシックであり、IMSAのチャンピオンであり、コースに出るたびにドライバーの意思を試す車です。今も、新たなヒーローを待っています。
日産300ZXターボ ル・マン
1990年代初頭、IMSA GTOシリーズの規則がそれほど厳しくなかったこともあり、スーパーシルエットのモンスターマシンの時代が到来しました。この800馬力を超える野放図なパワーのツインターボV6エンジンもその1例です。このエンジンとワイルドな車体は7年間にわたってIMSAで活躍し、1994年にはチャンピオンシップを制しています。勇壮なサウンド、盛大に炎を上げる排気、クレイトン・カニンガム・レーシングのために設計されたこのモンスターは、心臓が止まるようなスリルへの近道です。AEDをお忘れなく。
日産フェアレディ240ZG GTS-II
史上最も美しいGTレースカーの1つです。300馬力、7600RPM(1973年にこのパワー!)の直列6気筒エンジンを搭載したこのシンプルで崇高なマシンは、日産の伝説的な大森工場で生まれたレーシングカーです。ドリフトを思いきり楽しみましょう。このヴィンテージGTレーサーで最も速くターンするには横滑りさせることです。何年にもわたって富士スピードウェイのトップに君臨してきた超ロングノーズのモンスターですが、数分もすればその魅力に心奪われるはずです。
日産GTP ZX-ターボ
1984年、アメリカ市場での「ダットサン」ブランドは「ニッサン」として再出発しようとしていました。ハイテク車メーカーとしての日産の知名度を高めるため、日本の日産上層部は、アメリカのプレミアレースシリーズであるIMSA GTチャンピオンシップへの参戦を決定します。シャーシとボディの製作はローラ・カーズ、チーム運営はダットサンのスペシャリストだったエレクトラモーティブ・エンジニアリング、動力部は日産自動車が担当。1989年にあらゆる勝利をおさめる活躍を見せました。このマシンは現在でも、他のどの車よりも野生的で暴力的なパワーを持っています。手懐けるのに長い年月がかかりそうな野蛮なターボを搭載した900馬力のV6エンジンは、900kgの車体をロケットのように突き進ませ、あなたの魂に強烈な一撃を与えます。その走りに心を捧げるのはもちろん、しくじれば手足の骨も差し出す覚悟が必要です。
日産GT-R NISMO(R35)
日本のニッサン・モータースポーツ・インターナショナルが開発したこのGT-Rは、ニュルブルクリンクで7分8秒679という、量産車としては最速の記録を持っています。542馬力のパワーを発揮し、静止状態から2.5秒で時速100キロに達する性能によるものです。4輪駆動で、誰もが日産GT-Rに期待する通りのレスポンスを見せてくれるこの車は、フルボアのレースカーと同じぐらいサーキットでの走行に適しています。混じり気のないドライビング体験と究極の走りの楽しさを与えてくれる1台です。
日産GT-R NISMO GT3(R35)
日産GT-R NISMOのGT3レースバージョンは、アップグレードされた540馬力のターボエンジンを搭載し、世界中のレースを制してきた血統を余すところなく引き継いでいます。このモンスターもまた、バサースト12時間、ブランパン耐久、スーパーGTシリーズで勝利をおさめています。ドライバーよりも戦士にふさわしい車です。
日産R390 GT1
日産R390 GT1は、1997年と1998年のル・マン24時間レースのために特別に製作されたマシンです。トム・ウォーキンショー・レーシングとパートナーシップを組み、エンジンはグループCの3.5L V型8気筒エンジンを転用した650馬力のものを搭載。ボディとシャーシは元ジャガーXJR-9の設計者トニー・サウスゲートを迎え、NISMOの萩原裕と共に作り上げたものでした。日産がこれまでに産み出したレーシングカーの中ではそれほど目覚ましい成績を残したわけではありませんが、その歴史を語る上では外すことのできないモデルです。2年間の計画で合計8台の日産R390 GT1レーサーが製作されました。そのうちの1台をあなたの愛車にする時です。
日産R89C
1980年代後半のグループCは、世界のレース場に正真正銘のモンスターが放たれていた時代でしたが、その中でも最も恐れられたのが、日産が産み出したこのマシンでした。950馬力の3.5LツインターボV8エンジンを、ケブラーとカーボンファイバーをベースにした約900kgのモノコックシャシーに搭載したこのマシンのパフォーマンスは驚くべきものでした。あなたがこの車を飼い馴らすより、この車があなたを飼い馴らす方が早いでしょう。
日産スカイライン スーパーシルエット
永遠のターボラグ、獰猛なルックス、そして怪物のようなパフォーマンス… 1980年代初頭のスーパーシルエットレースへようこそ。ボリューム満点のボディ、タフなドライバー、夜明けの養鶏場のように騒ぐターボ、カーレースの極みがそこにありました。この日産スカイラインはグループ5の規則に則り、ボンネット、ルーフ、ドアはロードカーのものを使用していますが、改造が許可されているそれ以外の部分にはあらゆる装備が追加されています。巨大なオーバーハング、ウィング、フェンダーを備えたワイルドすぎるスタイルは新しいムーブメントを作り、現在の暴走族スタイルのルーツとなりました。この日産スカイラインの重量は1000kg、ターボチャージャー搭載570馬力2Lエンジンの回転数は、火を噴くような7600RPMにまで達していました。この悪童を従えて、あなたの強さを証明しましょう。
日産スカイラインGT-R(BNR32)グループA
まるでゴジラ。伝説の始まり。無敵の強さ。史上最も偉大なグループAレースカーであり、古今東西のレースカーの中で最も大きな成功をおさめたと誰もが認める名車です。このマシンの本質とは? 新型2.6Lツインターボ直列6気筒による600馬力超のパワーと、ATTESSA E-TSと名付けられた4輪駆動システムです。1990年、日産はこの新型日産スカイラインGT-Rでレースに参戦。全日本ツーリングカー選手権の29レースに出場し、そのすべてに勝利しました。次にスパ・フランコルシャン24時間レースに出場し、すべてのライバルを蹴散らして優勝。さらに、オーストラリアではツーリングカー・チャンピオンシップを3年連続で制覇し、その悪い冗談のような強さに、オーストラリアのモータースポーツ組織がターボチャージャーを禁止し、全く新しい大会を立ち上げる事態となりました。まさにゴジラの伝説です。未だ負け知らずのこのマシン。初の敗北を喫する不名誉なドライバーにはなりたくないものです。
日産スカイラインGT-R(R34)
映画『ワイルド・スピード』シリーズ第1作からフィーチャーされていたことでも知られる、ストリートレーサー御用達の車です。この日産GT-Rの出力は、工場出荷時の仕様では280馬力。これは不思議なことに、前モデルであるR32やR33と同じです。ただし、この数字に意味はなく、発売当時も現在も、額面通りに受け取る人は誰もいません。なぜなら日産GT-Rは、簡単な改造を施し500馬力を超えて初めて、正真正銘の日産GT-Rと呼べるからです。ツインターボ2.6L直列6気筒エンジンと伝説的な全輪駆動を備えたこのマシンは、どんなレースコースも焼け野原にしてしまうでしょう。乗らずには死ねません!
2020 Nissan 370Z
伝説の「フェアレディZ」を体験しましょう。2020 Nissan 370Zには半世紀に渡るレースでの実績が結集されています。ドライバーに変わり回転数をコントロールしてくれる、3ペダルMTとしては世界初のシンクロナイズド・ダウンシフト・レブ・マッチング・システム、圧巻の332馬力を絞り出す第4世代の3.7リッター V6、そして、フルスロットル時に50/50なるように55/45の重量バランスになっています。「フェアレディZ」に望む全てのものが詰まったマシンです。
Nissan Z Proto
世界に何ヶ月も先駆けて新世代のフェアレディZに乗り込みましょう。Project CARS 3にてシミュレートされている新しいNissan Z Protoは、ロングノーズ、ファストバック、ギリギリまで張り出されたホイールなどフェアレディZの特徴的なデザインを備えています。Nissan Z Protoは脈々と受け継がれてきたDNAに忠実でありながら、新しい3リッターV-6ツインターボと6速MTで伝説のスタイルに現代の技術を加えています。フェアレディZは、常にドライバーとマシンの間の親密な関係を大切にしてきました。純粋にドライビングする喜びとスリルを感じてください。
2002 Nissan Silvia (S15) Spec R エアロ
6速MTとLSDを備えたこのNissanマシンは、D1グランプリで7回チャンピオンに輝いたことでドリフト界の伝説となっていますが、その根底にはサーキットレーサーとしての力強さがあります。Nissan Silvia S15は全日本GT選手権で優れた成績を収め、アップグレードされて、今もなお世界中のクラブレースで活躍しています。
RXスーパーカーライツ
オルスバーグMSE RXスーパーカーライツは、チューブラースペースフレームシャーシと、ミッドシップで2.4L 300馬力の自然吸気デュラテックエンジンを搭載した、悪魔的なラリークロスカーです。ワイルドな走りのために設計された車です。
オペル・アストラTCR
TCRツーリングカーシリーズの出場チームに販売するために製造された、前輪駆動、完全プロ仕様の2Lターボ330馬力のエンジンを搭載したフルレース仕様のモデルです。ABSもトラクションコントロールもなし。孤独にコースと向かい合い、右足に全てをかけて、同じようなパワーを持つツーリングカーがひしめくフィールドに出ていくしかありません。強気でいきましょう!
ゾンダ・チンクエ・ロードスター(2010)
ゾンダ・チンクエの2010年ロードスターバージョンは、わずか5台限定で生産されました。ルーフがなく、レザーとアルカンターラ素材の内装でスポーティな個性を表現したそのスタイルは、近寄りがたい気品を放っています。
構造は、パガーニのハイパーカーが根底で共有する洗練された水準を維持しつつ、再設計された新型のカーボチタニウム製のシャーシが採用されています。さらに、軽量化とドライビングの喜び、パフォーマンス、排気量の向上、高剛性化を実現するアイデアはすべて従来のモデルから引き継がれています。新モデルの「ダイエット」はそれだけではありません。マグネシウム製部品を使用した新型サスペンション、新型カーボン製ブレーキディスク、アプリテック社特製のマグネシウムとアルミニウムの合金を使用した新型リムなどによって、チンクエ・ロードスターはパフォーマンスを重視しながらも、1210kgという軽さを実現しました。ゾンダ・チンクエは、クーペ、ロードスターのどちらのバージョンも脈々と生き続けるパガーニ哲学の真髄を象徴するモデルであり、多くの人がこのブランドの代表的な作品の1つに挙げています。
ウアイラ(2011)
2011年、ゾンダシリーズにまったく新しいモデルが登場しました。ウアイラのコンセプトとスタイルは、自然に存在する要素の中でも不変のものである「空気」の様々な形態(特に「風」)から形づくられました。ジェットタービンと静かで優美なグライダーの組み合わせ。風の見せる優美な動きと、時に放つ獰猛な力強さがデザインの中に共存しています。ウアイラは、アルゼンチンの少数民族のケチュア文化における風の神の名であり、この車の全体にその要素が反映されています。AMGとアクティブ・エアロダイナミクス社が共同開発した新型V12ツインターボエンジンは、地上車ではこのモデルに初めて搭載されました。2011年に発表されたパガーニ・ウアイラは当初から大きな注目を集め、2012年には数々の革新的な特徴が評価され、主要自動車雑誌3誌でカー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
ゾンダ・レボルシオン(2013)
パガーニ・ゾンダ・レボルシオンは、パフォーマンス、テクノロジー、芸術性において、トラックカーの頂点を極めたモデルです。
先代ゾンダRの進化版として、リアウイングのDRS(ドラッグリダクションシステム)、6速マグネシウムシーケンシャルギアボックス、カーボチタニウム製セントラルモノコック、800馬力、730Nmのトルクを生み出す6.0L V12エンジンを搭載しています。重量はきっかり1070kgの軽さ。オラチオ・パガーニと彼のチームが作り上げたこの車は、最速を競うサーキットでも、オンリーワンのコレクションカーとしても、誰もが目を見張るデザインを実現しています。
ウアイラBC(2016)
ベニー・カイオラは、パガーニの車を購入した最初の顧客として歴史に名を残しました。最初期からオラチオのデザインに込められた情熱と技術に惚れ込んでいたベニーに捧げるために開発されたモデルが、このウアイラBCです。
主に公道を走行することを想定して着想されたウアイラBCですが、パガーニ・ゾンダRとゾンダ・チンクエというサーキット走行に特化した先行モデルからインスピレーションを得ています。クーペの自然な進化形として開発されたこの車は、純粋なパワーを詰め込んだ1218kgの高性能自動車で、1.8Gという、ロードタイヤを装着した車ではかつてない横加速度を実現しています。発売当時、ウアイラBCはウアイラ クーペの中で技術的に最先端のモデルでした。
パノス・エスペラントGTR-1
バットマンの異名を持つこの車は、レイナード・モータースポーツの特殊車両部門で開発され、長い傾斜したノーズの下には、ルーシュ・レーシング製の無敵の6L NASCAR V8エンジン(750馬力)が隠されていました。このオールアメリカンなエスペランテGTR-1を完成させたパノスは、ヨーロッパとアメリカで数々のレースを荒らし回ります。1998年にはチャンピオンシップで8レース中7勝を飾りました。珍しいフロントエンジンを備え、唸りながら突き進む、あなたが思う以上に真面目で洗練された性格を持つ車です。派手に騒ぎましょう。
ポルシェ 908/03 スパイダー
誰も気付かないうちに、すべてを制していたポルシェ。ポルシェ 908/03 スパイダーは1970年に製造されましたが、この年はポルシェが917Kを駆ってル・マンで初の総合優勝を果たした年だったため、スパイダーはほとんど話題になりませんでした。しかし、歴史はこの崇高なレーシングカーの味方でした。この車は、タルガ・フローリオやニュルブルクリンクなど、カーブが連続するためにV12エンジンを持つ917Kでは勝ち目のないコースを制するために作られたのです。360馬力の3Lフラット8エンジンをミッドシップにし、ドライバーはフロントアクスルよりも前に出る設計。空気のように軽い車体を持つポルシェ 908/03 スパイダーは、狙い通りにこれらのレースで余裕の勝利をおさめました。その後もポルシェ908/03スパイダーは勝ち続け、また勝ち続け……10年後もまだ勝ち続ていました。オープントップ、完璧なバランス、美しいサウンドに加え、これまでにないハンドリングが体験できる1台です。
ポルシェ 911 カレラ RSR 2.8
100万種類の夢を現実にし、コース上のあらゆるライバルを打ち砕いたポルシェ911は、1970年代中盤におけるGTレーサーの代名詞的存在です。ポルシェはカレラRS 2.7の55モデルを選定し、史上最も偉大なGTレースカーになるという特別な使命を与えました。カレラRS 2.7はポルシェ 911のシルエットを決定づけ、そのダックテールリアスポイラーと太いホイールアーチを備えた見事なデザインはモータースポーツを愛するすべての子供たちの魂に焼き付けられることになります。選ばれた車たちはダイエットに励み、ジムに通って肉体を鍛え、馬力を出せる食事を与えられました。そしてデビューを迎える頃には、誰も見たことがないほど攻撃的な見た目のポルシェに生まれ変わっていたのです。外側には巨大なホイールアーチとフェンダー、内側はすべてが削ぎ落され、リアには新たにチューニングされて210馬力から300馬力の大幅な出力アップを果たした8,000RPMの猛烈な回転数を誇る2.8Lエンジンが隠されていました。レースに参戦した1973年、ポルシェ 911 カレラRSR 2.8は一言で言って無敵でした。デイトナ24時間レース、セブリング12時間レース、タルガ・フローリオを制し、GT選手権では9戦中6勝。水冷、フラット6のリアエンジン、900kg、0-100km/h加速4.5秒(1973年にこの性能!)…...特別としか言いようがありません。
ポルシェ 911 カレラS (992)
全く新しいポルシェ 911 カレラの特徴は、アイコニックで、時代を超える魅力、そして恐ろしいスピード。ポルシェ 911の8代目のこのモデルも、それまでと同じごく普通のスーパーカーです。440馬力のツインターボのフラット6エンジン、すべての回転域で頼もしいトルク、コントロールには瞬時に反応し、ラグもなく、前モデルよりさらに前に押し出されたエンジンの位置によって、この世代のポルシェ 911のハンドリングは今までで最高のものとなっています。0-100km/h加速は3.5秒、最高速度は時速308キロ。今すぐ乗り込んでレースに出るしかありません。
ポルシェ 935/2019
世界中の愛好家のために、ポルシェは特別な誕生日プレゼントとしてこの車を77台製作しました。こんなに素晴らしい誕生日プレゼントがあるでしょうか?アイデアはいたってシンプル。伝説的なポルシェ 935/78のルックスとポルシェ 911 GT2 RSのガッツを融合させた、公道でもレースコースでもレギュレーションを気にすることなく純粋な栄光に輝けるスーパーカーというものです。その結果生まれたのが、ポルシェが送り出したモデルの中でも最高の美しさを誇る700馬力のサーキットの主役でした。前身のポルシェ 935/78は、その細長い流線形の車体から「モビーディック(白鯨)」と呼ばれ、数々の勝利に輝いたスーパースターですが、ポルシェ 935はそのシルエットを忠実に再現しています。エンジンは3.8Lツインターボ6気筒水平対向エンジン、重量は1,380kgで、その性能は衝撃的なレベルです。百聞は一見にしかず……
ポルシェ 911 GT1-98
激戦だった1997年のFIA GT選手権で敗退したことを受けて、1998年にスポーツカーレース用に製作されたトップダウンレーシングカー。ポルシェの50周年を間近に控え、メルセデス、トヨタ、ロータスの強豪たちに対抗するために生まれた600馬力のモンスターです。3.2Lフラット6ターボエンジン、刷新されたシャーシとエアロ、開発の指揮をとるのは伝説的なディレクターであるノルベルト・シンガー。その結果は?結論は見方によって変わりそうです。選手権での優勝を基準とするなら、それは失敗に終わりました。ル・マンで勝利し、伝説的な24時間耐久レースでポルシェに最多勝利の栄光をもたらすことを基準とするなら、それは文句なしの成功でした。20年近くにわたるポルシェのレーシングカーの歴史の最後を飾った1台に敬意を払いましょう。
ポルシェ 911 GT3 RS
このポルシェはまさにサラブレッド、乗り心地はもちろん、サウンドも最高です。後輪駆動、520馬力の自然吸気4Lエンジン、レッドラインは8,250RPMという怪物的なパワー、サーキット仕様のシャーシ、軽量な構造、そして神業的な性能。0-100km/h加速は3.2秒です。本気の走りに備えてください。
ポルシェ 911 GT3 R
レースのためのポルシェといえばGT3です。レースで勝利したいなら、それだけ知っていれば十分。GT3規格の550馬力を発揮する4Lフラット6エンジンを搭載しています。後輪駆動、カーボンファイバー製のボディフレーム、信じられないほどの俊敏さ、完璧な重量配分、そして巨大なリアウイングによる革新的なエアロ効率。あとはあなたが乗るだけです。
ポルシェ 911 RSR
ポルシェは、新型ポルシェ911 RSRについて、これまでのどのモデルよりも妥協のないGT耐久車であると述べています。スポーツカーレースと耐久レースの世界で何十年にもわたってトップに君臨し続けるメーカーにこう言わせるのはかなりのものです。耐久レースとGTレースのために設計されたこの新型ポルシェ911 RSRは、500馬力以上の水平対向エンジンをリアアクスルの前にわずかに移動させ、これまで以上に優れたハンドリングを実現しています。重量わずか1,245kgのこのマシンの強さは、登場直後からの成績で証明済みです。この猛獣に乗ってコースに出たら、負ける方が難しいでしょう。
ポルシェ 917/10
ル・マンで優勝した(そしてル・マンの映画で有名になった)ポルシェ 917がルール変更により出場不可となり、ポルシェは新たな活躍の場を求めてアメリカのカナディアン・アメリカン・チャレンジ・カップに参戦することにしました。事実上ルール無用のカンナムは、メガパワーと超軽量シャーシのマシンの実験場であり、ブルース・マクラーレンの刺激的な走りを求めて人々が集まる遊び場でした。その時代を終わらせたのが、ポルシェが投入したこの世界史上最も凶暴で野蛮なレースカーでした。900馬力に迫るシボレーV8に対抗するため、ポルシェは7.2L 16気筒の巨獣のようなエンジンを検討していましたが、それよりは幾分常識的なところに落ち着き、ル・マンで優勝した917の5L V12エンジンを採用しました。ただし、それではパワーが足りなかったのでターボを加えます。それもツインターボを。その結果、出力は約1,500馬力に。重量は約800kgに。トラクションコントロール?ABS?そんなものはありません。0-100km/h加速は2秒以下、時速200キロまで5秒以内に加速、4速のマニュアルギアボックス、3速でタイヤが空転し始めるほどの猛烈なトルク。このモンスターは誕生直後から全てを破壊し尽くし、その圧倒的な強さでカンナムを焼け野原にしてしまいました。気をつけないと、あなたの夢の舞台も同じように蹂躙されてしまうでしょう。
ポルシェ 917K
王朝を築いたポルシェ。1960年代の終盤、開催組織による認定要件が25にまで引き下げられたため、ポルシェはついに、かねてからの大きな夢であったル・マンでの完全勝利に挑戦することを決め、そのためのマシンの開発に着手しました。連戦連勝を誇ったポルシェ908をベースに構成したシャーシに、まったく新しい空冷フラット12エンジン(その上にファンを搭載)を搭載したポルシェ 917は、これまで誰も見たことのないような車に仕上がりました。しかし、デビュー戦となった1969年4月のニュルブルクリンク1000kmでポルシェのドライバーがレース出場を拒否するほど不安定で、ル・マンではその異常なハンドリングがさらに悪化し、致命的なレベルになっていました。ポルシェは1970年の戦いに向け、3つのベテランモータースポーツチームにポルシェ 917を託しましたが、その内のJWAガルフチームが1969年後半のテスト走行中に異常なハンドリングの謎を解明します。テールを切り落とし、段ボールとアルミで急ごしらえした部品に交換することで、ついにこの猛獣を手懐けたのです。新型のテールを得たポルシェ 917は917 Kurzheck(略して917K)という新たな名称も得て、1970年のル・マンで完全勝利を果たします。1971年には、ロバート・シュレが設計した低ドラッグのポルシェ 917が登場し、Langheck、またはポルシェ 917 LHとして知られるようになりました。このバリエーションはル・マンでの優勝経験こそありませんが、400km/h以上の速度では異常なほどの俊敏さを見せ、適切なコースで適切なドライバーの手にかかれば常勝のマシンでした。
ポルシェ 917 LH
王朝を築いたポルシェ。1960年代の終盤、開催組織による認定要件が25にまで引き下げられたため、ポルシェはついに、かねてからの大きな夢であったル・マンでの完全勝利に挑戦することを決め、そのためのマシンの開発に着手しました。連戦連勝を誇ったポルシェ908をベースに構成したシャーシに、まったく新しい空冷フラット12エンジン(その上にファンを搭載)を搭載したポルシェ 917は、これまで誰も見たことのないような車に仕上がりました。しかし、デビュー戦となった1969年4月のニュルブルクリンク1000kmでポルシェのドライバーがレース出場を拒否するほど不安定で、ル・マンではその異常なハンドリングがさらに悪化し、致命的なレベルになっていました。ポルシェは1970年の戦いに向け、3つのベテランモータースポーツチームにポルシェ 917を託しましたが、その内のJWAガルフチームが1969年後半のテスト走行中に異常なハンドリングの謎を解明します。テールを切り落とし、段ボールとアルミで急ごしらえした部品に交換することで、ついにこの猛獣を手懐けたのです。新型のテールを得たポルシェ 917は917 Kurzheck(略して917K)という新たな名称も得て、1970年のル・マンで完全勝利を果たします。1971年には、ロバート・シュレが設計した低ドラッグのポルシェ 917が登場し、Langheck、またはポルシェ 917 LHとして知られるようになりました。このバリエーションはル・マンでの優勝経験こそありませんが、400km/h以上の速度では異常なほどの俊敏さを見せ、適切なコースで適切なドライバーの手にかかれば常勝のマシンでした。
ポルシェ 918 スパイダー ヴァイザッハ・パッケージ
ヴァイザッハ(ポルシェの本社所在地であるシュトゥットガルト・ツッフェンハウゼンの近くにある小さな村)は、ポルシェが世界をリードする車を設計・開発している場所です。スパイダーは、ポルシェの取り外し可能なルーフを備えた軽量高性能車を意味します。そんなスパイダーと、たった3モデルの選ばれしハイパーカーの1つであるポルシェ 918を組み合わせて生まれたのが、ニュルブルクリンクで6分57秒のラップ記録を出したこの猛獣です。どうやって?4.6L V8エンジン、2つの電気モーター、887馬力、そして信じられないほどのハンドリングがそれを可能にしました。歴史を作る準備はいいですか?
ポルシェ 919 ハイブリッド
4シーズンに出場し、 コンストラクターズチャンピオンシップ、ドライバーズチャンピオンシップをそれぞれ3回獲得。さらに、ル・マンを3回制覇。ポルシェが再び世界を支配しようと決意した時には、メジャーなスポーツカーレースを離れてから20年もの歳月が流れていました。そして、それこそがポルシェの武器になりました。ポルシェ 919 ハイブリッドが無敵であった大きな理由の1つは、その空力効率の高いボディの下に隠されていました。約500馬力、9,000RPMの回転数を誇る2L V4ターボチャージャーエンジンです。リアとフロントの2つのハイブリッドシステムを組み合わせることで、ドライバーがアクセルを踏むとこれらがモーターとして機能、合計約1000馬力の4輪駆動システムとなり、技術的には無敵の勝利量産マシンとなっているのです。
ポルシェ 924 カレラ GTP
ポルシェ 924 ターボをベースに作られたこのマシンは、ル・マンですべての人に衝撃を与えました。性能とパワーが劣っていたため、予選では34位、44位、46位とまったく振るわず、本線ではさらに順位が下がると予想されていました……。雨が降るまでは。320馬力、950kgの3台の小さなポルシェが、雨が降り出した瞬間から信じられないほどのハンドリングと精密な走りでフィールドを食い荒らし始めたのです。レース終了時には、トップのポルシェ 924 カレラ GTPが総合6位、クラス3位でゴールしました。小さなポルシェにしては、驚くべき偉業です。ドライビングを楽しむ人のための究極の1台です。
ポルシェ 935/80
ポルシェ 935はグループ5レース用に作られました。グループ5のルールでは、オリジナルのポルシェ 935で630馬力を発揮した2.8Lターボや、まったく新しいエアロダイナミクスボディなど、独創的なエンジニアリングが許されていました。ポルシェは、顧客のGTに対するニーズを満たすために935シリーズを開発し、デビューしたシーズンで見事チャンピオンに輝いています。1977年シーズンには原点に戻り、その後継となる680馬力を超えるツインターボを搭載したポルシェ 935/77が誕生しました。完全な支配の幕開けです。しかし、それだけでは終わりませんでした。ポルシェ 935/78(別名モビーディック)は、世に出るや否やその信じられないほど長いリアエンドと驚異の850馬力を発揮するエンジンで、無敗のままライバルを蹂躙し始めます。チャンピオンシップでは8レースに出場して全勝。アメリカでは14レース中12勝でした。あまりにも圧倒的な強さだったため、ポルシェは顧客にも勝利のチャンスを与えるために、モビーディックの参戦を中止したほどでした。1979年、進化を遂げたポルシェ 935/80は、ル・マン、IMSA、DRM、セブリング、デイトナ、ニュルブルクリンクなどでさらに多くの勝利をおさめます。ポルシェ 935とその進化モデルは、合計370のレースに出場し、そのうち123のレースで勝利を収めました。壮絶なパワー、サウンドを持つ、史上最も優れたGTレーサーの1つによる壮絶な結果です。次はあなたが世界を制する番です。
ポルシェ 935/77
ポルシェ 935はグループ5レース用に作られました。グループ5のルールでは、オリジナルのポルシェ 935で630馬力を発揮した2.8Lターボや、まったく新しいエアロダイナミクスボディなど、独創的なエンジニアリングが許されていました。ポルシェは、顧客のGTに対するニーズを満たすために935シリーズを開発し、デビューしたシーズンで見事チャンピオンに輝いています。1977年シーズンには原点に戻り、その後継となる680馬力を超えるツインターボを搭載したポルシェ 935/77が誕生しました。完全な支配の幕開けです。しかし、それだけでは終わりませんでした。ポルシェ 935/78(別名モビーディック)は、世に出るや否やその信じられないほど長いリアエンドと驚異の850馬力を発揮するエンジンで、無敗のままライバルを蹂躙し始めます。チャンピオンシップでは8レースに出場して全勝。アメリカでは14レース中12勝でした。あまりにも圧倒的な強さだったため、ポルシェは顧客にも勝利のチャンスを与えるために、モビーディックの参戦を中止したほどでした。1979年、進化を遂げたポルシェ 935/80は、ル・マン、IMSA、DRM、セブリング、デイトナ、ニュルブルクリンクなどでさらに多くの勝利をおさめます。ポルシェ 935とその進化モデルは、合計370のレースに出場し、そのうち123のレースで勝利を収めました。壮絶なパワー、サウンドを持つ、史上最も優れたGTレーサーの1つによる壮絶な結果です。次はあなたが世界を制する番です。
ポルシェ 935/78
ポルシェ 935はグループ5レース用に作られました。グループ5のルールでは、オリジナルのポルシェ 935で630馬力を発揮した2.8Lターボや、まったく新しいエアロダイナミクスボディなど、独創的なエンジニアリングが許されていました。ポルシェは、顧客のGTに対するニーズを満たすために935シリーズを開発し、デビューしたシーズンで見事チャンピオンに輝いています。1977年シーズンには原点に戻り、その後継となる680馬力を超えるツインターボを搭載したポルシェ 935/77が誕生しました。完全な支配の幕開けです。しかし、それだけでは終わりませんでした。ポルシェ 935/78(別名モビーディック)は、世に出るや否やその信じられないほど長いリアエンドと驚異の850馬力を発揮するエンジンで、無敗のままライバルを蹂躙し始めます。チャンピオンシップでは8レースに出場して全勝。アメリカでは14レース中12勝でした。あまりにも圧倒的な強さだったため、ポルシェは顧客にも勝利のチャンスを与えるために、モビーディックの参戦を中止したほどでした。1979年、進化を遂げたポルシェ 935/80は、ル・マン、IMSA、DRM、セブリング、デイトナ、ニュルブルクリンクなどでさらに多くの勝利をおさめます。ポルシェ 935とその進化モデルは、合計370のレースに出場し、そのうち123のレースで勝利を収めました。壮絶なパワー、サウンドを持つ、史上最も優れたGTレーサーの1つによる壮絶な結果です。次はあなたが世界を制する番です。
ポルシェ 935/78-81
ポルシェ 935はグループ5レース用に作られました。グループ5のルールでは、オリジナルのポルシェ 935で630馬力を発揮した2.8Lターボや、まったく新しいエアロダイナミクスボディなど、独創的なエンジニアリングが許されていました。ポルシェは、顧客のGTに対するニーズを満たすために935シリーズを開発し、デビューしたシーズンで見事チャンピオンに輝いています。1977年シーズンには原点に戻り、その後継となる680馬力を超えるツインターボを搭載したポルシェ 935/77が誕生しました。完全な支配の幕開けです。しかし、それだけでは終わりませんでした。ポルシェ 935/78(別名モビーディック)は、世に出るや否やその信じられないほど長いリアエンドと驚異の850馬力を発揮するエンジンで、無敗のままライバルを蹂躙し始めます。チャンピオンシップでは8レースに出場して全勝。アメリカでは14レース中12勝でした。あまりにも圧倒的な強さだったため、ポルシェは顧客にも勝利のチャンスを与えるために、モビーディックの参戦を中止したほどでした。1979年、進化を遂げたポルシェ 935/80は、ル・マン、IMSA、DRM、セブリング、デイトナ、ニュルブルクリンクなどでさらに多くの勝利をおさめます。ポルシェ 935とその進化モデルは、合計370のレースに出場し、そのうち123のレースで勝利を収めました。壮絶なパワー、サウンドを持つ、史上最も優れたGTレーサーの1つによる壮絶な結果です。次はあなたが世界を制する番です。
ポルシェ 936 スパイダー
ポルシェ 917とポルシェ 908の後継モデルとして登場したこのオープントップの美しい耐久レーサーは、1976年に世界を席巻しました。シャーシはポルシェ 908/917世代のもので、エンジンは540馬力のターボフラット6。作られたのはわずか3台ですが、チャンピオンシップとル・マンの両方で勝利をおさめています。それも、両方がデビューしたシーズンの勝利でした。さらに、3台それぞれが1976年から1981年にかけて1回ずつル・マン優勝を果たしています。笑いましょう。この美しい車で勝利する瞬間には笑顔が似合います。
ポルシェ 959 S
1980年代半ばのポルシェは、当時世界で最も先進的な技術を持つスポーツカーと世界最速の車を同時に開発するという壮大な難事業に取り組んでいました。その両方を達成したのがポルシェ 959であり、スポーツカーインターナショナルによって1980年代のスーパーカー1位に選ばれた名車です。ポルシェ 959Sはさらに極端な仕様になっており、違法すれすれ(米国では禁止)でしたが、勝負を根底から覆す絶対的な強さは数々のレースで証明済みです。非常に先進的な4輪駆動システムを持ち、極めて優れたハンドリングを提供していたため、ポルシェの幹部たちは、現在でもポルシェ 911のすべてのターボチャージャー付きバージョンにこのシステムを標準装備すると決めています。508馬力、最高速度は時速339キロ。わずか29台しか生産されていないポルシェ 959 Sは、大変に希少かつ特別なモデルです。その内の1台があなたを待っています。
ポルシェ 961
ポルシェ 959のような世界最速・最先端のスーパーカーをどう使いますか?当然、レースカーにするでしょう。これはポルシェがグループB用にたった1台だけ作ったマシンです。4輪駆動はそのままに、ターボのブーストを680馬力まで上げて重量を1,150kgに減らしましたスピードとハンドリングは驚異的です。
ポルシェ 962C
180以上の勝利を誇る、最も成功した耐久レーサー。無敵のポルシェ 956から生まれ、流麗なエアロフォルムと3.2Lエンジンを持つポルシェ 962は、1985年の登場当初から世界を席捲しました。グループCレース用に製作されたポルシェ 962Cでは、ツインターボを搭載したエンジンはさらにパワーアップし、衝撃的な数字を叩き出しました。このポルシェは、1980年代を通じて耐久レースで最も恐ろしいマシンたちと競い合い、その中で圧倒的な勝率を誇ってきました。1985年と1986年の世界スポーツカー選手権、1985年から1988年までのすべての年のIMSA GT選手権、1986年と1987年のル・マン24時間レースを制しています。製作されてから丸10年経った今でもメジャーなタイトルを獲得していたのです。この車で負けることは不可能です。試す価値もありません。
ポルシェ 962C ラングヘック
180以上の勝利を誇る、最も成功した耐久レーサー。無敵のポルシェ 956から生まれ、流麗なエアロフォルムと3.2Lエンジンを持つポルシェ 962は、1985年の登場当初から世界を席捲しました。グループCレース用に製作されたポルシェ 962Cでは、ツインターボを搭載したエンジンはさらにパワーアップし、衝撃的な数字を叩き出しました。このポルシェは、1980年代を通じて耐久レースで最も恐ろしいマシンたちと競い合い、その中で圧倒的な勝率を誇ってきました。1985年と1986年の世界スポーツカー選手権、1985年から1988年までのすべての年のIMSA GT選手権、1986年と1987年のル・マン24時間レースを制しています。製作されてから丸10年経った今でもメジャーなタイトルを獲得していたのです。この車で負けることは不可能です。試す価値もありません。
ポルシェ カレラ GT
ポルシェ カレラ GTは、トップスポーツカー・オブ・ザ・オールタイムリストの8位にランクインしています。異論をはさむ余地はないでしょう。低すぎるという意見はあるかもしれません。何がそれほど特別か知りたいですか?まずはエンジン。1992年にF1レース用に設計されたV10気筒エンジンを耐久レース用にアップグレードし、素晴らしいサウンドを奏でる5.7Lに仕上げています。2000年にパリで開催されたオートショーでコンセプトカーとして紹介したところ、問い合わせが殺到。ポルシェの営業部門が1台50万ドルで生産を開始する判断を下すことになりました。販売台数は約1,300台。この数字に何の不思議もありません。600馬力、0km/hから200km/hまで10秒で加速、6速マニュアル仕様のみで、ブナ材のギアノブはポルシェ917へのオマージュです。モノコックはカーボンファイバー製、リアウイングは電子制御式で、その乗り心地は毎回感動してしまうほど素晴らしいものです。
ポルシェ ケイマン GT4 クラブスポーツ MR
奇跡の名車ポルシェ ケイマン GT4 クラブスポーツをベースに作られたMR(マンタイ・レーシング)は、GT4での勝利のために死角のないアップグレードが施されています。アップグレードにより、ポルシェ一流のミッドエンジンによる優れたハンドリングをはじめ、GT4で世界のライバルと競い合える力が与えられています。改良の鍵となっているのは、カーボンファイバー製バンパー、ボンネット、ドア、リアスポイラーの形状による軽量化です。3Lのフラット6エンジンを備えたこのGT4があれば、他に何も必要ないはずです。
2020 ポルシェ タイカン ターボ S
"Soul, electrified."「それは、電動化された魂」をキャッチフレーズに、ポルシェの魅力をEVの分野にすべて注ぎ込んだ、ポルシェ初のEVスポーツカーです。高精度なハンドリングと、ポルシェ ケイマン GT4に匹敵する速さを誇り、0-100km/h加速は2.5秒、フル加速時には1.3Gという驚異的な速さを誇ります。さらに、EV車では世界初となるマルチスピード・トランスミッションを搭載し、ポルシェが70年に渡ってレースで培ってきたノウハウを投入することで、今日の未来を切り開いています。
ラディカル RXC GT
20周年と2000台目の製造を記念して、ラディカルはワンオフのカーボンファイバー製スペシャルロードレギュラーモデル『RXCターボ』を製作しました。今ではサーキット限定仕様車と公道走行が可能なモデルの両方が生産されていますが、元々はラディカルのル・マン出場車であるSR9レーサーから派生し、フォード製のエコブースト3.5L 650馬力ツインターボエンジンを1,130kgの車体に詰め込んで生まれたと聞けば、そのパフォーマンスは想像できるでしょう。ガルウイングドアと巨大なダウンフォースで仕上げられたこの車は、2.7秒で100km/hに到達し、グリッドで勝利のレーンを独占させてくれます。
ラディカル SR3 RS
ラディカルはSR3シリーズを1,200台以上販売した、最も成功したモデルとしていますが、その理由は驚くべきことではありません。世界中のレースで優勝した実績のある、羽のように軽い(570kgs)パワーテック4気筒210馬力の獣が10,500RPMで咆哮する様は、純粋な走りの喜びを与えてくれます。
ルノー メガーヌ R.S. トロフィー
300馬力のパワーとF1由来のターボ技術を駆使したラグのないこのルノーに乗れば、茫然とした挑戦者の姿が小さくなっていくのをミラー越しに眺められるでしょう。4輪駆動システム、機械式リミテッド・スリップ・ディファレンシャルが加わり、どんなコースでもライバルでも焼き尽くす最強のロードカーです。
ルノー メガーヌ R.S. TCR
340馬力の4気筒ターボエンジンを搭載した本格的なサーキット仕様のこのホットハッチツーリングカーは、世界中のレースで大活躍しています。攻撃的なスタイルは、競争の激しいTCRシリーズのレースにも対応できます。あとはあなたが強気でスタートするだけです。
ルノー メガーヌ トロフィー V6
ルノー ユーロカップ メガーヌ トロフィーは、1976年以来、様々なモデルが名前を変えてワンオフで製作されてきたレーシングシリーズです。ルノー メガーヌ トロフィー V6は、このシングルスペックのレーシングシリーズの中でも最も優れたモデルです。360馬力の3.5L V6ミッドシップエンジンと信じられないほどのグリップとハンドリングを武器に、レースで壮絶な戦いを繰り広げました。
ルノー マキシ 5 ターボ
元祖ポケットロケット。この小さなルノーはモータースポーツ界の不滅のアイコンです。380馬力を超えるパワーを発揮する1.5Lターボエンジンは、約900kgの車体にミッドシップで搭載されており、短いホイールベースと相まって、尻尾を掴んで突っ込む度胸のあるアグレッシブなドライバーにはたまらない一台となっています。ルノーのモータースポーツ部門の大部分がル・マンプログラムにかかりきりになっている中、そこから外れたたった4人のエンジニアの手によって生み出されたこのマシン。超高速で、俊敏で、とんがっていて、猛烈な勢いを持つ、歴史上最も愛されているレースカーの1つです。とにかく試してみてください。
ルノー スポール R.S. 01
ルノー スポール R.S. 01は、シングルスペックのスポール トロフィーシリーズの1台として製作されましたが、あまりに速かったためにGT3のフルスペックランナーに転身しました。レースを制するそのパフォーマンスの鍵を握るのは、日産GT-Rでおなじみのアクティブな3.8L V6エンジン。出力も同じ550馬力ですが、ここではエンジンがあるべき場所、つまりミッドシップに配置されています。一方、シャーシはあのダラーラ製です。カーボンファイバー製の中空構造が1,145kgの軽量を実現し、本気のドライバーのために本気のパフォーマンスを発揮してくれます。
リマック・コンセプト・ツー
リマック・コンセプト・ツー、通称C_Twoは、考え得るすべての点でレースの流れを変える1台です。完全電気駆動のこのスポーツカーは、最高速度時速415キロ、1,888馬力、0-100km/h加速1.9秒という、遠い未来から来たような性能データを誇っています。アクティブなエアロ、効率的なエアロダイナミクス、最上級のハンドリングにより、リマック・コンセプト・ツーは、驚くほどパワフルで超高速な電動ハイパーカーの新世代を宣言する最初のモデルとなっています。さあ、レースに出ましょう。
トヨタ GT-86
このアクティブなクーペに関しては、200hpという馬力や、0-100km/h加速のタイムはあまり意味を持ちません。純粋な性能データはやや落ちるものの、後輪駆動、自然吸気の2L水平対向エンジン、一日中笑顔で運転できそうなハンドリングなど、トヨタGT-86の純粋なドライバビリティはそれを補って余りあるものです。新開発のシャーシと空力性能を追求したボディを採用した6速マニュアル車は、どんなドライバーの心も躍らせてくれるでしょう。
トヨタ GT-One
1998年シーズンから施行されたGT新規制に対応するため、トヨタはダラーラの協力を得て、このワンオフレーサーをゼロから作り上げました。特徴的なのは、「すべてのGTカーはスーツケースを収納できる大きさの収納スペースを持つこと」というルールに面白い解釈を採用したことです。トヨタによれば、空の燃料タンクが十分にそのスペースを提供するというのです。また、目的に合わせて、トヨタのグループCエンジンというレーストリムで600馬力以上を発揮できる3.6L V8ターボエンジンが搭載されていました。速さと満足感のあるマシンでしたが、タイヤの損耗が激しく、トヨタは1年後にF1へと活動の場を移しました。
トヨタ GRスープラ
伝説のモデル、その生まれ変わりです。現在では、人知を超えたパフォーマンスと精密なハンドリングを保証する黄金比を実現した車になっています。新型スープラは、335馬力の3.0Lツインスクロール・シングルターボ直列6気筒エンジンを搭載し、3.9秒で時速100キロまで加速します。正確なハンドリング、迫力あるパワー、そして走りの楽しさ。2020年型後輪駆動モデルのトヨタスープラは、伝説をさらに進化させた車です。
トヨタ TS050ハイブリッド
モータースポーツ界で最も悲しい物語、ル・マンにおけるトヨタの悲嘆についに終止符を打った、1000馬力のハイブリッド電気自動車です。2017年、トヨタTS050は1990年のシケイン導入以降初となるル・マンでの最速ラップを記録しましたが、それでもレースには勝てませんでした。しかし何十年にもわたって試行錯誤を繰り返し、最終ラップで先頭を走りながらも優勝を逃すなどの苦い経験を経たトヨタは、2018年、ついにこのチャンピオンと共に、長年掴み損ねてきた勝利をもぎ取ったのです。この空気力学の驚異とも言えるマシンの強さは、2.4L V6ツインターボエンジンと、前輪と後輪の2つのモーターが産み出しています。重量わずか875kg。この「ル・マン」プロトタイプ(LMP)のパフォーマンスは従来の常識を超えています。時速0-100キロ加速は2秒以内、時速0-200キロ加速は4.5秒以内。スリルと勝利のために作られた1台です。
1994 トヨタ スープラ MkIV Turbo
すべてのレーサーの欲しいものリストに日本の輸入車を追加させたストリートレーシングの伝説マシンです。パンチの効いた3Lツインターボと321馬力により、5秒以下での0-100km/hが可能です。しかし、これは出発点に過ぎません。「スープラ」の名を伝説にしたこの獣をアップグレードして、さらに強力なスーパーカーを作り上げましょう。
1994 トヨタ スープラ MkIV Turbo レースコンバージョン
すべてのレーサーの欲しいものリストに日本の輸入車を追加させたストリートレーシングの伝説マシンです。パンチの効いた3Lツインターボと321馬力により、5秒以下での0-100km/hが可能です。しかし、これは出発点に過ぎません。「スープラ」の名を伝説にしたこの獣をアップグレードして、さらに強力なスーパーカーを作り上げましょう。
1985 Toyota Sprinter Trueno GT Apex (AE86)
サーキットから、ラリー、ジムカーナでも活躍したレースの伝説であり、高回転型ツインカム1.6リッターエンジン、羽根のように軽いシャーシによる、操作性の高いハンドリングのマシンがProject CARS 3に登場します。ヨーロッパのツーリングカー選手権では、4シーズン連続であらゆる車両を打ち破りました。日本では、「走り屋」に人気が高く、さらに「ドリキン」の手によって、ドリフトの名を永遠のものとしました。パワー、バランス、パフォーマンス、まさにモータースポーツの象徴と言える一台です。
1994 マツダ RX-7 R2
このR2仕様のマツダRX-7には、ウイングやスポイラーなどのエアロパックに加え、より柔らかく、よりグリップ感のあるサスペンション、そして、ならではの超高回転のツインターボエンジンが搭載されています。この車両では、最初から異世界のようなハンドリングとフィーリングでドライブを楽しめますが、そのポテンシャルを最大限に引き出すためには、アップグレードが必要です。オーバーステアは必須です!
1994 マツダ RX-7 R2 レースコンバージョン
このR2仕様のマツダRX-7には、ウイングやスポイラーなどのエアロパックに加え、より柔らかく、よりグリップ感のあるサスペンション、そして、ならではの超高回転のツインターボエンジンが搭載されています。この車両では、最初から異世界のようなハンドリングとフィーリングでドライブを楽しめますが、そのポテンシャルを最大限に引き出すためには、アップグレードが必要です。オーバーステアは必須です!
フェラーリ SF90 Stradale
すべての者の想像を越え、何世代にも渡るモータースポーツのノウハウを得てレースコース上で生まれたMaranelloは、完全なる先駆者です。
それを受け継いだこの車は、史上初のFerrari プラグインハイブリッド・スーパーカーであり、史上初のミッドシップ四輪駆動のFerrariであり、これまでで最もパワフルなFerrari ロードカーです。
この「90」はFerrariの90周年記念を意味しており、「SF」はレースチームのScuderia Ferrariから取ったもので、「1000」は3つの電動機と4LのツインターボV8による合計出力を意味しています。
想像するのは止めて、実際に運転してみましょう。
ランボルギーニ Sián FKP 37
Countachにインスパイアされたデザイン、Lamborghini史上初の、6.5L V12ミッドシップ・ハイブリッドエンジンは819馬力、最高速度は時速350kmに到達。
Lamborghini史上最もパワルフルなハイブリッドスーパースポーツカーで、スタイル、スピード共にLamborghiniの最高傑作です。
「Sián」はボローニャの言葉で「稲光」という意味であり、この車の特徴を正確に表しています。
ヘネシー Venom F5
スーパーカーの可能性の再定義を目指すHennesseyは、大胆なパワーとスタイルを2021年に解き放とうとしています。
全てカーボン・ファイバーで造られ、ハンドリング、機敏性、安定性、パフォーマンスを考慮して一から設計されたこの車は、世界デビュー3カ月前にProject CARSでシミュレーションされています。
Hennessey Venom F5は、特注ツインターボ6.6Lのアメリカ製V8を持ち、驚異的な1,817馬力で推定最高速度は時速500kmに到達します。想像を超えるヘネシー Venom F5に出会いましょう。
2020 フォルクスワーゲン ID.R
フォルクスワーゲン ID.Rは世界中でトラックレコードを更新しています。 パイクスピーク、ニュルブルクリンク、グッドウッドの全てにおいてです。そしてVWはこれをさらに進化させ、ビルスターベルクにおいて2020 フォルクスワーゲン ID.Rは人々の想像を絶する走りを見せつけたのです。圧倒的なダウンフォースを持ち、妥協のない軽量プロトタイプとして開発されたこのマシンは、VWブランドによる最初のEVレースカーです。約1000kgという車重で2つの高性能モーターが680馬力を出力し、ニュルブルクリンクでのトラックレコードを更新した際、平均3.5Gを記録しました。
ニオ EP9
ニオ EP9はニオのフォーミュラ Eで培った技術のすべてをロード&トラックに持ち込んだ2シーターのスーパースポーツカーです。世界各地のコースで市販車の世界記録を保持しており、その中にはニュルブルクリンクでの6分45秒90という驚異的な記録も含まれています。これは各ホイールに搭載されたモーターにより合計335馬力のパワーを発生、4WD(ハンドリングパフォーマンスに優れたインディビジュアルホイールドライブ)、高度なトルクベクタリング、LMP規定に基づく、フルカーボンファイバー製のシャーシを採用しています。総重量はわずか1,735kgであり、このEVモンスターは2.7秒で100km/h、15秒で300km/h、最高速度は350km/hに到達します。圧倒的なパワーとレーシングレベルのグリップを体験しましょう。